2014年07月07日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第285号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。


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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第285回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.16>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回からは、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。この番組は、奥様の夢を実現することを応援するケースも多いのですが、あくまでもご主人が生涯現役で頑張っているケースを取り上げたいと思います。

定年後の転職ではないのですが、小さい時からの夢であった電車の運転手に52歳でなった人の話です。

今回の舞台は熊本県熊本市であり、市民が利用する路面電車の運転士・冨嶋泰文さんが主人公です。

泰文さんは幼い時から鉄道が好きで、将来は鉄道員になりたいと思っていました。大学卒業後は地元の信用金庫に就職。鉄道は趣味として愛し続けていました。ところが、市電で通勤するようになった48歳のとき、車内に張られた「運転士募集」の広告を見て、少年時代の思いがよみがえってきました。

夢をかなえようと50歳で信用金庫を退職。去年7月、運転士の採用試験に臨み合格し、昨年の4月から市電の運転士としてデビューしました。50歳を超えて幼き日の夢を実現した新人運転士・冨嶋泰文さんの日々を紹介します。

運転士の採用試験に合格した後は、8カ月間に及ぶ研修で技術と知識を習得しました。同期の仲間はほとんどが年下の若者たち。彼らに比べると、操作の仕方や専門用語などを覚えるのに苦労したそうです。初めての運転から8カ月が過ぎましたが、まだまだ新人です。多くの先輩からアドバイスを受けながら安全運転を心掛け、運転士として日々向上を目指しています。

この方の偉いのは、子供の頃の夢をサラリーマンの最後として実現したことです。おそらく定年前の転職であり、家族の反対もあったと思いますが、若い人に混じって、必死に研修を受ける姿は、すがすがしいものがあります。

熊本は、仕事で何回も行きましたが、市電はまさに市民の足であり、どこに行きのも、便利な市電ですので、やりがいがある仕事だと思います。

私も定年前の、仕事として自分が一番やりたかった、インキュベーションの仕事をしましたが、経営者としてスタートしたので、病気で大変な目にあいましたが、定年前の仕事として、まだ体力もある時に、本当にやりたい仕事をするのは大賛成です。

人生の楽園ホームページ(H25年12月7日放送分)
http://www.tv-asahi.co.jp/rakuen/contents/past/0253/

次回も、テレビ朝日「人生の楽園」からピックアップしてご紹介したいと思います。


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◆編集後記

先週からあるがん専門病院の新薬の治験に参加するために、入院した話をしましたが、骨髄検査の結果、癌細胞は発見されませんでした。なんと6つの検査をしたのですが、いずれも陰性であり、治験に入る必要がなくなったので、退院させられてしまいました。

また先週は、日本医科大学付属病院での骨髄検査でもがん細胞は検出されず、がん細胞は、どこかに行ってしまいました。本来はこれが寛解ですので、本来は喜ばなくてはいけないのですが、先々週までは、セカンドオピニオン外来でも、もう一生治らないのではないかと思っていただけに、手放しでは喜べなくなっている自分がいます。

しかしまだ、赤血球を体で作る体制ができていないので、相変わらず輸血を、続ける必要があり、しばらく様子を見るしかありません。しかし最近は体調が良くなってきており、外出しても何の問題もありません。

煮え切れない自分にもどかしさがありますが、今はしっかり体力づくりをして仕事の完全復帰に向けて頑張るつもりです。毎朝散歩から、スタ-トして、筋力アップも心がけていくつもりです。

このまま、がん細胞が現れないように、体力作りを頑張るしかありません。
posted by 國井 正 at 09:52| 東京 ☁| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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