2017年03月06日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第422号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第422回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.152>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、岡山県の中央に位置する吉備中央町が舞台です。大阪から移住し、やることいっぱいの田舎暮らしを楽しむ大谷勝則さん(63歳)と妻の節子さん(62歳)が主人公です。

愛媛県出身の勝則さんは、ドラマ撮影の現場などで植木を扱う造園の仕事に就き、その後、水道設備会社に勤めます。節子さんと出会ったのは58歳の時で、お互い伴侶との死別を経験した者同士でした。そして2012年に再婚を決意します。

その後、大阪で暮らし始めたお2人ですが、土いじりが趣味だった節子さんは、あまり都会になじめませんでした。そんな節子さんを見て「だったらすぐにでも田舎で暮らそう」と思い立った勝則は、畑が付いて眺めもいい、築70年の古民家を購入しました。しかし、家は床が抜けている状態で、勝則さんは前職で培った技術を生かし、節子さんと一緒にリフォームを始めました。そして、2年の歳月をかけて母屋のリフォームが完了した2015年秋に、お二人の本格的な田舎暮らしがスタートしました。

この日、勝則さんが始めたのは離れづくり。遊びに来た友人たちが泊まれるようにと基礎から作り始めました。さらに夫婦で取り掛かっているのは、地元の方から頂いた間伐材や石を使った花壇作りで、重い石も2人で協力して運んでいます。その他、畑仕事に薪割りなど、気分次第でやることを変えていくのも楽しく暮らす秘訣だそうです。

移住仲間である桐島さんの山で、籠作りに使うツルと椎茸栽培のための榾木を頂きます。桐島さんにとっては管理が大変だという山は、大谷さんご夫婦にとっては宝の山です。節子さんは男性陣を指示して、ツルを採ってもらいます。桐島さんご夫婦と宝の山に感謝いっぱいのお2人です。

リフォームした家のお披露目をかねて、地域の皆さんを招いて食事会が開かれました。移住してすぐに、温かく迎え入れてくれたご近所の方々にお2人はいつも助けられています。皆さんとの団欒に顔が緩むお2人は「まだまだやることがいっぱい」とこれからの田舎暮らしにさらに気合が入ります。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.3 NO.48

先週は、横須賀市の芦名ハウスに2泊3日で出かけました。1日目は、5回も連続で通っている三浦海岸駅にある回転すしです。ネットで寿司屋を調べたら、なんとこのお店が人気トップで、早速出かけましたが、見かけは、田舎の寿司屋という感じで、本当にこんなところが人気があるのかと目を疑いました。

しかし回転している鮨はなく、注文ですぐ握ってもらえ、まず地魚鮨セットを頼みましたが、その美味しさにびっくりしました。さらにマグロは本マグロで、中トロは2カン540円、赤身は360円と安くて、その旨さに驚きました。赤身は普通の中トロと変わらなく、中トロは口で溶けてしまいます。ネタは、北海道産のウニやホタテなど非常にいいもので、お腹一杯食べても、一人2000円代です。

また野菜や葉山牛などは、「すさなごっそ」という市場みたいなスーパ─があり、農家の地の野菜などが販売されており、どの野菜も安くて美味しく、必ず野菜を沢山買って家に持って帰ります。葉山牛のステーキやメンチカツなども販売しており、人気があります。

家から歩いて20分で、秋谷海岸という大きな海岸に出られます。いろいろな犬と出会いますが、今回は、老犬のゴールデンレトリーバーが、海に入って泳いでおり、飼い主によると、老人がプールでリハビリするのと一緒で、足腰の弱った犬には、とてもいいそうです。

最後の日は、念願の大楠山登山に挑戦しました、標高は242mしかありませんが、三浦半島の最高峰です!実は芦名ハウス(借りている家)は、まさに登山道の真下にあり、家から登っていける山です。約60分で頂上につき、360度のパノラマ展望を満喫しました。足にきましたが、非常にすがすがしいリハビリになりました。

これからは、季節も良くなるので、三浦半島を満喫したいと考えています。
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2017年02月27日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第421号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第421回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.151>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、石川県中能登町が舞台です。自宅で、どぶろく造りと農家レストランを営む田中良夫さん(65歳)と妻の幸子さん(62歳)が主人公です。

56歳でJAを退職後、専業農家として米や野菜作りをしていた良夫さんは、近所の神社に神酒用の酒米を奉納していたことから、酒造りに興味を持つようになりました。町には、許可を得て神酒用のどぶろく醸造をしている神社が3社あったことから、良夫さんは町を「どぶろく特区」に認定できないかと中能登町に相談しました。特産にしていければと町も協力し、2014年に中能登町は「どぶろく特区」に認定されました。

良夫さんは、どぶろくを提供するための農家レストラン「太郎右衛門」をオープンし、2015年12月にどぶろくの醸造免許を取得、どぶろく造りを始めました。

どぶろくは、仕込み方で味が変わるのが面白いと、日々熱心に勉強を続ける良夫さんです。そんな良夫さん自慢のどぶろくと、幸子さんが作るかぶら寿しや自家製野菜の料理などを食べながら、思う存分に楽しむことができる農家レストランは、農閑期に限った1月から3月までの3ヵ月間、冬限定の営業です。

この日、どぶろく造りで大切な麹づくりを行いました。良い麹が出来ないと、良いお酒は出来ないという良夫さんは、蒸した酒米に種麹をかけて丁寧に混ぜていきます。混ぜ込んだ後、温度管理をしながら麹菌が酒米に根付いていくのをじっくり待ちます。2日後、きれいな麹ができました。良夫さんもひと安心のようです。

良夫さんは、できあがった麹を使ってどぶろくの仕込みを行います。炊いたお米に水と麹を足して1日寝かせ、「もろみ」をつくります。これに、酒米と井戸水、酵母を加え、毎日優しくかき混ぜ続けると、炭酸ガスが発生し、やがて40日から50日ほどで、良夫さん自慢のどぶろくが完成します。

農家レストラン「太郎右衛門」に予約のお客様がやってきました。囲戸裏を囲んで、幸子さんが作った「かぶら寿し」や「いのしし鍋」を楽しみます。もちろん、良夫さん自慢のどぶろくや甘酒も振舞います。どぶろくは飲み放題なので、食事は大盛り上がりです。最後は良夫さんも加わって、一緒にどぶろくを楽しみました。

中能登町でもう一軒、どぶろくを造っている農家レストラン「まる」に集まった良夫さんと仲間たちは、今後、どぶろくを造りたいと考えている、農家民宿を営む藤井さんと、去年、新規就農した松田さんが加わり、
「太郎右衛門」と「まる」のどぶろくを、飲み比べます。将来的には、町でどぶろく祭りができるようになりたいと語る良夫さんは、仲間たちと夢の実現に向けて、一歩ずつ進んでいきます。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.2 NO.47

先週から始めた、料理教室のパン講座の第1回目がスタートしました。いろいろな、教室を体験しようと、今回は渋谷でなく新宿の野村ビルの教室を選択しました。10時からレッスンがスタートするので、10分前に行くと、これから教室を開けるタイミングでした。渋谷と比べて、ロッカールームがなく、教室の中にロッカーがあり、ドリンクコーナーには、アルコールはなく、ちょっとがっかりです。

1回目は、ツインブールという小さなパンが2つ組み合わせて、上にナッツや砂糖類などをトッピングする可愛いパンです。パンは、粉や水の数量をきっちり測らないといけないそうで、厳しくチェックされました。

またパンのこね方も乾かないように急ぐ必要があり、意外とこねるのに力も使うので、筋トレになると思います。発酵したり、オーブンで焼く時間もあり、2時間以上かかるので、意外とリハビリになる感じがします。焼きたてのパンを試食しましたが、大変美味しく、残りは家族にお土産で持ち帰ることができるように持ち帰りケースも用意されており、いいと思います。

妻に食べてもらったら非常に美味しいと好評でしたので、この講座は正解でした。来週は、近所の成城学園にある教室と新宿の高島屋にある教室にチャレンジしてみようと思います。
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2017年02月20日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第420回配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第420回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.150>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、大分県豊後大野市が舞台です。会社を早期退職して故郷に戻り、夫婦でカフェを始めた工藤秀一さん(54歳)と妻・由香里さん(47歳)が主人公です。

地元出身の秀一さんは工業高校を卒業後、東京のコンピューター関連の会社にシステムエンジニアとして就職しました。年齢を重ね、プロジェクトの全体管理を担うなど責任も増し、ピーク時には始発で出勤して終電で家に帰るほど忙しい日々を経験し、いつしか「このままでいいのか?」と考えるようになりました。50歳を機に早期退職を決意し、妻の由香里さんと共に故郷の大分にUターンします。元々好きだった料理の腕前を生かし、カフェを始めようと自宅兼店舗を新築し、2014年11月「森のcafeゆるり」をオープンしました。

店のこだわりは1日10食限定の週変わりランチプレートです。「家では面倒であまり作らないもの」をコンセプトに毎週夫婦でオリジナルメニューを考えています。さらに、店名通り「ゆるり」とした空間作りにも工夫をこらしています。座り心地のいいソファー席、たくさんの日が差し込む大きな窓、間隔を広くとった客席など、ゆっくりとくつろげる雰囲気はお客様から大好評です。

朝から仕込みに料理に立ちっぱなしのカフェの仕事は、サラリーマン時代と変わらない大変さですが、夫婦2人で過ごす時間が増え、自然に囲まれた環境で、休日には近所の山にハイキングに出かけるなど、今までになかった「ゆるり」とした時間を楽しんでいるお二人です。

「森のcafeゆるり」の人気メニューは野菜を中心とした1日10食限定のゆるりプレートです。地元食材が使われたオリジナル料理はどれも絶品です。普段、家では作らないような手の込んだ料理が週替わりで楽しめるとあってお客様から評判です。

この日、秀一さんは近所に住む親戚の秀子さんの畑を訪れました。カフェの「専属契約農家」を自負する秀子さん指導の下、料理で使う大根や白菜、甘夏などを収穫しました。

秀子さんにもらった甘夏を使ったデザートの新メニュー「開発会議」が開かれました。会議では妻・由香里さんが2年間書き溜めている秘伝のレシピノートが欠かせません。これまでのレシピを参考に、ご夫婦が作ったのは甘夏をジャムにしたデザートの試作品。秀子さんとお友達の皆さんの反応も上々で、新メニュー化に向けてさらに改良を重ねます。

この日はカフェで使う食器を作ってもらっている、陶芸家・阿南維也さんの工房を訪れました。ご夫婦が一目ぼれしたという阿南さんの食器はカフェのもうひとつの自慢です。今回はシチューやポトフ用の深めの器を注文しました。完成が待ち遠しいです。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.2 NO.46

先週は、前々回紹介した世田谷区の料理教室で一緒であった経堂の友人と新しい料理教室に通うこととしました。まずは体験レッスンがあったので、受講しました。

いろいろなクッキングスクールを比較しましたが、選んだのは渋谷のABCクッキングでした。500円の体験レッスンで予約したのですが、1クラス5名のクラスで小規模であることとレッスンは、日本全国のABCクッキングで同じクラスの内容が受けられること、レッスンをまとめて購入すると2年間などの期間で自由に使用できることなど自由度が気に入れました。仮に入院しても無駄にならないと感じました。

また渋谷のスクールを選んだのは、バーコーナーがあることも理由です。煮込みハンバーグの体験レッスンでしたが、完成して試食するときに、ワインを飲んで食事ができました。1回のレッスン料は他のスクールと比べて高いのですが、フレキシブルなレッスンとバーは魅力です。

実際に友人と今までに体験していないパンを作るコースを24回通うこととなりました。男性会員は4割いるとのことでしたが、平日の昼間なので、我々以外は全員女性でした。しばらくは友人と一緒に通うことになりそうです。
posted by 國井 正 at 09:02| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第419号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第419回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.149>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、牡蠣の名産地で知られる広島市が舞台です。まるで本物のようにリアルで美味しそうな「料理のミニチュア」を作る、萩谷幹さん(50歳)が主人公です。

大阪で生まれ育った幹さんは、外食の時、食品サンプルに見入ってしまう程、小さい頃から食いしん坊でした。そんな幹さんが社会人になって出会ったのが、一冊のドールハウスの本です。そこに載っていた、粘土で作る料理のミニチュアを見て、幹さんは独学でミニチュアフードを作り始めます。結婚は31歳の時で、夫の転勤を機に広島に移り住み、ブログで自分の作ったミニチュアを紹介し始めました。ミニチュアを通して広島の人とのつながりが出来た幹さんは、2012年に工房「キンカンの工作室」をスタート。これまでは自分の趣味の世界だったミニチュアが、今では多くの人を感動させる作品としてどんどん世の中に広まっています。

どこまでも「本物」に近づくよう追求し、創作活動をする幹さんは、例えば、牡蠣のまず何色も混ざり合う殻の色や、でこぼこした質感にこだわって牡蠣の殻を作ります。そして中にぷっくりした身を入れ、最後にこれまた手作りの「七輪のミニチュア」に並べて炭火焼きの様子を表現すると、ほとんど殻は見えなくなってしまいます。それでも、どこから見ても牡蠣に見えるよう、隠れてしまう部分も絶対に手を抜かないのが幹さんのこだわりです。47都道府県の「ご当地グルメ」を表現したミニチュアは、そんな幹さんのアイデアやこだわりがいっぱい詰まった大作です。

現在、大阪に単身赴任中の夫・均さんは、月に2度ほど、広島の我が家に帰ってきます。いずれは工房を手伝う約束もしてくれている、優しい均さんを幹さんは「ひとっちゃん」と呼び、常日ごろ「大好き、愛情ははかり知れない」と公言しています。だから均さんが帰ると、もう大変でうきうき楽しく、夕食の準備にも気合が入ります。食にこだわる萩谷家には業務用の鉄板まであり、その上にこれでもかという量のご馳走がジュージュー並びます。お母さんと三人、笑いの絶えない楽しい夕餉のひと時です。それだけに、均さんが大阪に戻る時、いつも幹さんは涙です。

幹さんは、地域おこしの会「五日市ミズドリ企画室」の一員として、地図やフリーペーパーの制作にも参加しています。広報や会計など、それぞれ担当がある中で幹さんの役割は「製作担当」です。もともとデザインとしてあった企画室のキャラクター「ドリちゃんとドリ子」を、幹さんが粘土で立体化させました。この立体ドリちゃんとドリ子をリポーターに見立てて、新規オープンの店舗や地域の神社などを訪ね、フリーペーパーに載せる写真を撮影します。幹さんはこの活動を通して、自分の住む街の良さを発掘し、広めていきたいと考えています。幹さんのミニチュアの技が、こんなところでも役立っているんです。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.2 NO.45

先週は、横須賀市の芦名とうところにある貸別荘に行きました。実は、昨年の11月から一軒家を借りています。実際に行くようになったのは、12月くらいからで、お正月もそこで過ごしました。

借りたには、退院してリハビリと気分転換ができるところとして、利用したいと思っていたことや海のそばで、犬と散歩したいと考えたからです。海辺の店で夕焼けを見ながら犬とビールを飲むという夫婦のおもいもあり、実際海に沈む夕日を見ているのは、とてもいいものです。

別荘を買うという選択肢もありましたが、借りているのであれば、何か壊れても大家さんが直してくれるし、その別荘が万一気に食わない場合は、2年契約で別な物件を借りなおしてもいいと考えています。

三浦半島は、もう20年前くらいから好きでよく出かけていました。世田谷から1時間半くらいで行けて、美味しいマグロが食べられるので、三崎港あたりの寿司屋に行くのが目的でした。野菜も美味しくて、よく買っていました。不動産も探したこともあり、気に入っている場所です。

今の家は、少し半島の真ん中で、釣りで有名な佐島のそばです。家の側には、スーパーやコンビニがあり、とても便利です。もちろん佐島の魚屋で新鮮な魚やシラスなどもよく買います。今は若いワカメやメカブが柔らかく美味しいので、よく食べています。

できたら毎週1回は行きたいのですが、なかなか難しく、まだ寒いこともあり、春になれば、もっと回数を増やしたいと考えています。
posted by 國井 正 at 10:35| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第418号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第418回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.148>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回の舞台は温泉地で知られる岐阜県下呂市です。50歳を過ぎてから陶芸に魅せられ、趣味の工房「山おやじ」を構え、愛犬・ラッキー(14歳)とともに山里暮らしを楽しんでいる、長谷川廣行さん(66歳)が主人公です。

岐阜県美濃加茂市出身で自動車の板金工をしていた廣行さんの趣味は渓流釣りです。若い頃は車で寝泊まりしながら釣りを楽しんでいた廣行さんでしたが、50代になると釣り場の近くにセカンドハウスが欲しくなり、53歳の時に下呂市の山間の集落に古民家を購入しました。

それからは週末になると釣り仲間が集まるようになり、手料理でもてなしていた廣行さん。仲間に料理を褒められ、今度は料理を盛り付ける器にも凝り出し、自分でも器を作りたいと58歳で陶芸を習い始め、遂には陶芸用の薪窯(まきがま)も自分で作ってしまいました。そして窯の完成を機に自動車板金工を引退。山里で趣味の陶芸を楽しみたいと、2013年に下呂市で単身生活を始めました。

工房を始めて4年ですが、廣行さんがこれまで作った作品は4千個を超えます。あくまで陶芸は趣味なので作品は溜まる一方ですが、たまに工房を覗きに来た人などにプレゼントしています。ロクロを設置した陶芸部屋は、かつて養蚕に使われていたという自宅の2階です。今では陶芸を習いたいという人が集まるようになりました。体験料は、使った土代とロクロの使用料100円のみで、廣行さんの指導の元、色んな方が陶芸を楽しんでいます。

廣行さんの陶芸は、釉薬(ゆうやく)の代わりに食塩を使う「塩釉(えんゆう)焼き」と呼ばれるドイツで生まれた技法です。塩は熱くなった窯の中に直接撒いたり、作品に直接塗ったりと、やりかたは色々ありますが、窯が高温になることで塩の蒸気が発生し、作品の表面がガラス状の被膜で覆われることから液体に強く、ドイツではビールジョッキなどが多く作られました。日本には1950年代に伝わったと言われています。

作品は土が乾いたら塩を塗り、再び2週間ほど乾燥させてから薪窯に入れます。窯を焚くのは2ヵ月に1度で、松の木を燃やし、1100度を超える高温で33時間ほど焼きます。「陶芸仲間が集まる2カ月に1度の窯焚きはお祭り!薪窯は火の加減などで想像を超える表情の作品が生まれる」と、廣行さんは塩釉焼きの魅力を熱く語ります。

妻の美知子さんは仕事があるため岐阜県可児市の自宅で暮らしています。1人暮らしの廣行さんの相棒が愛犬・ラッキーです。美知子さんとは離れて暮らしていますが、「お互いに今の距離感が一番良い。今は毎日がとても楽しい」と廣行さんは言います。今日も山里でラッキーと散歩を楽しむ廣行さんです。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.2 NO.44

先週は、会いたかった経堂の友人と久しぶりにランチを楽しみました。その友人とは、世田谷区の男の料理教室で知り合いました。教室にバスで行くときに、たまたま一緒になり、同年代であり、同じ経堂に住んでいることから、すぐに親しくなりました。

その後同じ教室で経堂に住んでいる人と一緒に飲みに行ったりしていましたが、昨年私の病気の再発があり、教室に出られなくなりましたが、病院にもよく来ていただき、退院してから会っていなかったので、体力が回復して会いたいと思っていました。

友人も昨年は帯状疱疹になり、後遺症がひどく大変であったようで、年齢的にいろいろあります。また2年間の京都の芸術系の大学の東京サテライトに通っており、1月は卒論を出すのが大変だったそうです。

彼の偉いところは、毎日夕食を息子さんと奥さんのために作っていることであり、奥さんは昨年まで働いていたそうですが、現在も夕食を作っているようです。また同じように金融機関で働いていたこともあり、肌が会うので、長い付き合いをしていと思っています。

4月からは、どこかの料理教室に一緒に行こうと話をしており、時々ランチをしようと思っています。私も、彼を見習って、夕食づくりを積極的にしようと考えています。
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2017年01月30日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第417号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第417回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.147>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、徳島県東みよし町が舞台です。山の中腹の小さな集落で、昔ながらの暮らしを体験できる民宿「うり坊」を始めた木下正雄さん(69歳)と妻・公代さん(68歳)が主人公です。

地元の農家に生まれた正雄さんは、高校卒業後に就職しました。公代さんとはお見合い結婚で、4人の子どもに恵まれました。保険会社の営業として単身赴任も経験しながら60才で定年退職し、地元の会合などに参加する機会も増え、そこで「町が民宿を募集している」という話を耳にします。

正雄さんは住民の高齢化で若者が少なくなった故郷を少しでも活気づけたいという思いもあり、自宅の空き部屋を活用して民宿を始めることを決意します。当初、反対していた妻を説得し、2013年、山暮らし体験ができる民宿「うり坊」をオープンしました。

木下さんご夫婦が提供する山暮らし体験プログラムは、農作業やそば作り、干しいも作りなど季節ごとに様々なものが楽しめます。特にこの宿ならではの体験が「狩猟体験」です。地域の農作物を守るために、罠を使ったイノシシ猟もしている正雄さん指導のもと、罠作りから設置まで体験することができます。

公代さんが作る田舎料理も宿の自慢です。自宅前の畑で育てた旬の野菜はもちろん、正雄さんが捕らえたイノシシ肉などを使ったオリジナルのジビエ料理を堪能できます。おすすめは自家製野菜とイノシシ肉のしゃぶしゃぶです。正雄さん自ら丁寧に加工処理しているイノシシ肉は、臭みがなく食べやすいとお客さんに大好評の看板メニューです。

農業に加え、干しいもや漬物など昔ながらの保存食作りも木下家には欠かせない恒例行事です。正雄さんのお母さん、90歳のヤエ子さんは、50年以上、漬物を作り続けている山暮らしの生き字引です。傾斜地農法も、イノシシ狩も、この山でしか体験できないものばかり。先人から大切に継承されてきたワザが、民宿の宿泊客を楽しませてくれます。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.1 NO.43

先週は、約1年ぶりに、春日部のインキュベーション施設である「ふれあいキューブ」に出かけました。先方から来年の契約について、話があるということで、もう契約は更新しないと言われると観念していました。

昨年の4月からは、インキュベーションマネージャーも4名体制となり、もう私の役割はないと思っていたので、3月で終了すると思っていました。しかしできれば、契約は更新して、いざという出番があれば手伝って
欲しいと言われ、私も立ち上げたインキュベーションなので、思い入れがあるので、言葉に甘えて契約を更新することにしました。

1年ぶりの春日部は懐かしい感じしたが、私が入居をお手伝いした入居者は、5年の満期を迎えて段々いなくなって来ており、寂しい感じでした。それでも昔から知り合いの入居者やスタッフに会うと、仕事を続けて行きたい気持ちになりました。

先週は、顧問先の世田谷のNPOの新年会にも参加し、NPOの活動にも参加することで、地元の顧問先は改めていいと感じましたが、春日部にも待っていてくれる方が思うと、仕事に頑張ろうと感じることができました。

また1年ぶりに、娘夫婦に任せている成城学園の家庭菜園にも行き、2月のメンテナンス期間を迎えるにあたり、畑の作物の片づけを手伝いました。体を久しぶりに動かして、気持ちがいいと感じました。徐々にですが、普段の生活を取り戻しつつあります。
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2017年01月23日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第416号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第416回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.146>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、道央空知のほぼ中央に位置する北海道新十津川町が舞台です。石窯で焼いたピザが評判のカフェを開いた樋口修二さん(54歳)と妻の知江美さん(52歳)が主人公です。

修二さんは、48歳の時、趣味の一環で自宅にピザ窯を作ります。その窯でピザを焼き、自衛隊の仲間や家族とピザパーティーを楽しみました。

皆さん「美味しい」と、喜んでくれたといいます。その経験から、将来はピザ窯のあるカフェを開きたいと考えるようになりますが、家族は猛反対します。でも修二さんは、カフェオープンに向けて突き進んでいきました。滝川市の隣にある新十津川町でカフェにふさわしい古民家を見つけ、購入し、仕事の合間にボロボロだった外装・内装を修理していきました。1度決めたら突き進む修二さんの熱意に負け、次第に家族も手伝うようになりました。そして、2016年1月に修二さんは自衛隊を定年退職、その3カ月後、念願の「石窯カフェ ヤマト」をオープンしました。

「石窯カフェ ヤマト」はご夫婦と長女の真美子さんの3人で営業しています。修二さんがピザを担当、真美子さんはスイーツ担当、知江美さんは接客やランチに付くサラダ作りや2人のサポートを担当と、役割がきっちりと決まっている3人です。1人でも欠けたら絶対に店はできないというほど支えあいながら営業しています。家族3人のコンビネーションはばっちりで、このまま10年続けていければと願う皆さんです。

この日カフェは臨時休業し、修二さんが去年まで務めていた自衛隊・滝川駐屯地で年に1度の恒例行事が行われていました。知江美さんと一緒にピザを持って訪問です。先輩の登場に後輩隊員の皆さんも温かく迎えてくれました。美味しいピザにみんな嬉しそうで、外で行う雪上綱引きの応援をする修二さんは現役時代に戻ったようで、久しぶりの仲間たちとワイワイ楽しんでいました。

3人は季節限定ピザの新しいアイデアを模索していました。この日は、お客さんの率直な意見も聞きたいと20年来の仲間達を招いて試食会です。新作の「合鴨と長ネギのピザ」を食べたみなさんの感想は「美味しい」「お酒に合う」と好評です。素直な意見を言ってくれる信頼できる仲間たちの言葉に一安心し、それと同時に感謝でいっぱいの樋口さんご夫婦です。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.1 NO.42

先週は、世田谷の顧問先であるNPOの理事と一緒に食事をしました。彼は、中学の同級生であり、2年前に、このNPOの顧問社労士が亡くなり、困っている時に紹介をしてもらいました。

その社労士は、世田谷支部の先輩であり、顔をしている程度であり、まさか亡くなっているとは、知りませんでした。死亡する直前は入院していたようですが、具合は悪くないと言っていたようです。ただし給与計算などの仕事を請け負っており、数カ月事務が滞っているので、大変困っているとのことで、引き継いで仕事をすることとしました。

しかし、驚いたことに、手続きに使用する印鑑や台帳をすべて預かっているようであり、顧問先に奥さんに連絡を取り、預かっているものを、取り返していただきたいと依頼しましたが、奥さんは、自分はなにもわからないので、自宅にも来てほしくないと非協力的で、何も解決しない状況でした。

年金事務所やハローワークに話をしても、事業所番号などしかわからず詳しい情報は教えてもらいないので、再度理事長名で、事業所登録のやり直しなど、非常に苦労をしました。

やはり、病気の場合の他の社労士への業務の移行や、さらに自分で印鑑や台帳などを預かることなど、非常識な行為をしていては、顧問先の信頼も得られないと思ので、反面教師として勉強になりました。

私の場合は、いざという時の社労士は、同じ世田谷支部の後輩に依頼しているが、個人で仕事をしている場合には、自分に何かあった時のことは、真剣に考える必要があると改めて思いました。

顧問先の状況も変化するので、病気が再発したら、最新状況をまとめて引き継げる方に、きちんと引き継げるように、まとめておく必要があることを痛感しています。
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2017年01月16日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第415号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第415回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.145>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、森林面積の割合が全国1位を誇る高知県のほぼ中央に位置する須崎市が舞台です。少年時代の夢を追いかけて薪ストーブ職人になった小野正敦さん(50歳)と、妻の直美さん(49歳)が主人公です。

須崎市出身の正敦さんは、工業高校を卒業すると、地元の鉄工所に就職しました。板金の技術を身につけた後、今度は工務店で図面の引き方などを学びました。ウェブデザイナーをしていた直美さんとは2009年に出会い、翌年結婚し、須崎市に家を建て始めます。

少年時代から火のある暮らしに憧れていたという正敦さんは、直美さんと共に新居に置く薪ストーブを探し始めました。好みのものを探しているうちに、自分でも薪ストーブを作れるのではないかと考えた正敦さんは、休日を利用して薪ストーブの製作にとりかかりました。そして2012年、最初の薪ストーブを完成させます。その後も薪ストーブの製作を続けた正敦さんは、イベントにも出品し、お客さんがつくと薪ストーブ職人として独立することを決意しました。

薪ストーブ作りは、依頼主の家の広さに応じて図面を引くことから始まります。耐久性を考え厚い鉄板を使い、取手部分には工業用のボルトを利用するなど、正敦さんの工夫がいっぱい詰まっています。新居に念願の薪ストーブを設置したのは西村さんご夫婦は、また一つ小野さん夫婦のストーブに火が灯りました。

HP作りから営業まで、あらゆる面で正敦さんをサポートする、妻の直美さんは、溶接の資格も取得し、自ら鉄も叩きます。この日作ったのはアイビーのオブジェで、ご近所のお宅の薪ストーブの飾りにと製作しました。

高知県の豊かな森を守っていこうと立ち上がった、NPO法人「土佐の森・救援隊」は、森を手入れして、間伐材を建築資材や薪にして販売しています。正敦さんもそのメンバーの1人です。今回は、先輩に教えてもらいながら、初めての伐採に挑戦しました。

この日は友人の上田さんご家族とキャンプ場でランチです。正敦さんと直美さんが持って来たのは、一度に複数の鍋を煮炊きすることができるロケットストーブです。枯れ枝も燃料に出来てしまうので、アウトドアにぴったり。美味しい料理を囲んで楽しい時間を過ごしました。

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◆編集後記

白血病闘病記2017.1 NO.41

先週は、診察と肺のCT検査がありました。大分炎症反応は、下がって来ましたが、まだ基準の10倍の数値であり、血小板も2万で下げ止まりしていますので、まだまだです。

背中のレントゲンには、特に問題がなく、転倒による骨折はないようです。しかしまだ背中が痛いので筋肉の挫傷があると思います。

11月に骨髄移植を受けた若い友人にメールをすると、まだ入院しているとの返事があり、顔を見に行きました。自分の中にある細菌で、朝と夜に点滴を受けているので、退院できないそうです。ステロイドの影響で、顔も腫れている様子であり、やはり20歳でも移植の影響はすごいと、改めて思いました。自分だったら耐えられないと思ってしまいました。

また、最近は病院の帰りに日比谷図書館によく通っています。白血病の本を改めて読もうと考えています。その中で「二人の天使がいのちをくれた」という40代の大手広告代理店の営業部長が、突然急性骨髄性白血病にかかった時の体験談を本にしたもので、最終的に移植のドナーが見つからず、臍帯血移植をした方の話であり、自分の病気にかかった時の状況に近いので、興味深く読みました。

20歳の友人もそうですが、やはり発症した年齢が若いほど、体力もあり治る確率も高い気がします。自分の年齢では、どのような方法がいいか、再度考えることが必要であると感じています。
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2016年12月26日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第411号

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第411回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.141>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、漆喰の歴史のある町並みが今も残る愛媛県内子町が舞台です。そんな町で、竹細工の工房を開いた武智壽夫(ひさお)さん(65歳)が主人公です。

内子町の隣町、大洲市出身の壽夫さんは、大学を卒業後、大阪でサラリーマンをしていました。壽夫さんの趣味はトライアスロン、しかし、50代半ばに怪我をしてしまい、続けることが出来なくなってしまいます。そんな時に出会ったのが竹細工でした。竹の奥深さに魅せられ、次第に職人になりたいと考えるようになります。

58歳で早期退職し、京都伝統工芸大学校に入学し、本格的に竹細工を学び始めました。在学中、展示会にバッグを出品した際、3つ売れたことが自信となり、竹細工職人として生きていこうと決意しました。大学校を卒業後、故郷に戻り、そこで1軒の空き家に出会いました。その空き家は、訪れたことのある和傘屋さんだった古民家でした。訪れた当時からこんなところで工房をやってみたいと憧れを抱いていた壽夫さん、そして2012年6月、その古民家で念願の竹細工工房「武工房」を開きました。

壽夫さんが営む「武工房」では、茶托や風車など様々な竹細工が作られています。中でも壽夫さんが得意とするのは竹で作るバッグです。竹の皮を削った部分とそうでない部分を上手に組み合わせて模様を描くバッグは自信作です。使い続ける程、経年変化で竹の皮を削った部分が飴色に変わり、模様がはっきりと浮かび上がるんです。この経年変化するバッグは、お客さんにも大好評で、1年待ち状態なんです。

「武工房」には、壽夫さんを心配してよく訪ねて来る方がいます。壽夫さんのお姉さんの奉子さんです。竹細工で忙しい壽夫さんのために週3日ほど美味しいご飯を持って来てくれます。工房の縁側で奉子さんから頂いた美味しいご飯を食べて、大好きな竹細工に打ち込みます。幸せ者の壽夫さんです。

11月・12月が竹の切り時です。この日は、お弟子さんたち、さらにザル専門の竹細工職人の秋山さんと共に竹を切りに隣町にやって来ました。

壽夫さんが使うのは柔軟性があり竹細工に適した真竹。中でもバッグ作りに最適な節の間隔が長いものを選びます。切り出した竹は、通常、油抜きという作業をして白竹と呼ばれる状態にして使いますが、この時期は限定商品として、清々しい青竹をそのまま使ったお弁当箱もあるんです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.37

骨髄検査の結果は、陰性でしたが、実は、11月から肝臓の数値が、良くなくて、12月になっても次第に数値が高くなっており、GOTは標準数値の10倍、GPTは標準数値の10倍以上、γGTも10倍の数値があります。

最初は、B型、C型肝炎の検査をしましたが、陰性であり、今週は肝臓になかにあるウィルスの検査とCT検査を行う予定です。体もすこし怠い感じがしますので、早く原因を掴みたいと思っています。

体は、元気になって来ているにも関わらず、万全というわけには、いかないので、早く原因を掴んで、対策を考えないといけないのですが、場合によっては、内科の専門医のコンサルが必要かもしれません。


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メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第412号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第412回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.142>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、漁師町、京都府宮津市が舞台です。京都府宮津市で漁家民泊を始めた嶋崎長夫さん(69歳)と妻の郁子さん(64歳)ご夫婦が主人公です。

漁業の町、宮津市大島地区に生まれ育った長夫さんは、高校を卒業すると地元で働き始め、保育士をしていた郁子さんと結婚しました。幼少期から海と共に暮らしてきた長夫さんは、何か海での仕事をしたいと、56歳で退職し漁師に転身しました。一方、郁子さんは保育士として勤めを続けていましたが、「退職後は全く違う仕事を経験してみたい」と考え始めます。家に沢山の人が寄り、楽しいことが良いと思った郁子さんは、「お父さんの海の幸を使って、宿を始めたらどうだろう」と考えます。あまり乗り気でなかった長夫さんを巻き込み、2015年8月に「農家・漁家民泊 長栄丸」をオープンさせました。

一日一組限定で、自宅の一室が宿泊部屋です。長夫さんが磯に仕掛けた網を引き上げる「もんどり漁」の体験や新鮮な魚を地元ならではの調理法で食べられるとお客様には評判です。しかし、オープンからまだ1年4カ月で、冬場の今は、全くお客さんが来ない長栄丸でしたが、ご夫婦は、冬でもお客さんに楽しんでもらえるものは何かと考えています。旬の食べ物や冬の海だからこその体験メニューなど試行錯誤の毎日です。

嶋崎さん夫婦の昼食の食卓には、目の前の海で取れた魚の煮付けや、海藻で作った伝統料理など、漁師のお宅ならではのおかずが並びました。漁師町で自分たちが昔から食べてきたものを、お客様にも味わって欲しいと考えている郁子さんは、豊かな若狭湾に面し、人々が海の恩恵を受けて暮らしてきた宮津市大島でした。長夫さんも郁子さんも、この町ならではの文化や伝統を大勢の人に知って貰いたいと考えています。

冬場にどんな体験が出来るのかを知って貰おうと、友人を宿に招待し、意見を聞くことにした嶋崎さんご夫婦は、この季節ならではの海の幸満載の料理はもちろん、大好評だったのが、長夫さんの漁船に同乗してもらう漁の体験です。「箱眼鏡」という箱にガラスを張った道具を使えば、冬ならではの澄んで綺麗な海の底がはっきり見えます。また、その場で長夫さんが獲ったアワビをぶつ切りにして食べます。この美味しさにはお客さんも歓喜の声をあげていました。また、舟屋で有名な隣の伊根町へも、船に乗って観光に出掛けられます。いろんな海の体験に、友人たちは大満足のご様子でした。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.38

CT検査の結果、肝臓に問題はありませんでした。血液検査の数値も先週の10分の1の数値に下がっており、ただ炎症反応の値が、急に上がっているので、肝臓に何らかのウィルスがあり、その原因で、この数週間の肝臓に値に問題が出て来て、現在はそのウィルスが肝臓からでて来て炎症反応が上がっているとしか考えられません。

CT検査の結果、今度は肺に影があり、追加でカビの検査と肺結核の検査を行いました。この結果は今週聞きに行く予定です。

やはり今回の数カ月にわたる治療の副作用であると考えられます。特に肺は、肺炎になりましたし、白血球低下による様々な影響が出た、体が、異常な反応があった影響で、治療後も様々な症状が出て来ているのでは、ないかと考えています。
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2016年12月05日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第409号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第409回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.139>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、京都市右京区の北部に位置する京北地域が舞台です。昔ながらの茅葺き屋根の自宅を利用し、農家民泊を始めた植田秀男さん(60歳)と妻の由加子さん(48歳)が主人公です。

京北地域で生まれ育った秀男さんは、外国に大きな興味を抱き、大学時代には外国へ一人旅をしました。卒業後は呉服問屋に就職。海外に駐在することが決まったので母親に報告すると、「山と実家を守ってほしい」と涙ながらに頼まれ、実家に戻ることを決めました。2007年、京都市内のスポーツジムに通っていた秀男さんは、インストラクターをしていた由加子さんと出会い、2人は翌年に結婚します。

実家に帰ってから事業を立ち上げるも、母親が亡くなった後にたたんでしまい、何か新しいことはできないかと考えていた秀男さんでしたが、そんな時「民泊をやらないか」と、地域の商工会に勧められ、茅葺き屋根の自宅で民泊をやることを決意します。そして2015年7月に農家民泊「徳平庵」をオープンしました。日本の伝統的な茅葺き屋根と、旅のリクエストに柔軟に答える気さくなご夫婦は、外国の方からも大人気です。

この日のお客さんはアメリカから来たジェームスさんとシェリーさんご夫婦です。「日本ならではの特別な体験がしたい」とリクエストで、巨大な杉を見に行ったり、農家の畑で野菜を収穫したりしました。夕食はジェームスさんと由加子さんが、料理をそれぞれ4品ずつ作って乾杯し、「貴重な体験ができた」と大満足の様子です。

宿泊客にも人気の空間、茅葺きの屋根裏部屋では、由加子さんのヨガ教室も行われます。今は隣の南丹市で、ヨガのインストラクターをしています。レッスンは「若さをもらえる」「元気になる」と大好評。リクエストがあれば、宿泊のお客さんにもヨガを教えます。

「徳平庵」に賑やかな笑い声が響いています。カフェスペースを、秀男さんとともに手がけてくれた大工の東さんを始め、気の置けない地元の仲間が集まりました。由加子さん手作りの鍋を囲んで、会話が弾みます。みんな地元が大好き。伝統的な茅葺き屋根を守りつつ、民泊という新たな挑戦をする秀男さんを応援しています。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.35

退院してから1カ月以上が経過して、体調は大分戻って来ました。特に減少していた体重が、少し増加してきたので、このまま行けば、筋肉もついてくる気がします。

散歩でも、早く歩けるようになり、筋力が戻りつつある感じがします。先週は、退院後初めて車の運転もしましたが、判断力に不安はありませんでした。

これからは、さらに体力をつけるように、外での運動を増やす必要があるので、頑張ろうと思っています。今週は、退院してから最初の骨髄検査もあるので、結果が心配ですが、すぐに再発することは、ないと思いますので、大丈夫だと思います。

同じ社労士三田会の会員で、世田谷支部でもある同年輩の社労士が、動脈瘤破裂で急死しました。急に胸が苦しくなり、病院に行きましたが、そのまま亡くなったそうです。同じ年代の知り合いが死ぬこともあり、健康には今まで以上に注意することが必要な年代になって来たと言えます。
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2016年11月28日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第408号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第408回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.138>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、神戸市六甲山が舞台です。元保養所だった建物を利用し、作品に触って楽しめる美術館をはじめた矢野茂樹さん(62歳)と妻・貴美子さん(54歳)が主人公です。

茂樹さんは神戸の高校を卒業後、百貨店に就職しました。海外赴任も経験するなど仕事にまい進しました。30歳の時、宝石店で働いていた貴美子さんと結婚し、夫婦で宝石店を開き、お店を切り盛りしながら4人の子どもを育てました。その傍ら、趣味で彫刻品を集めていた茂樹さんは、いつしか作品を触って楽しめる美術館を開きたいと考え始めます。それは、若くして亡くなった母・和惠さんへのある思いからでした。

茂樹さんが海外で仕事をしている頃、和惠さんはがんを患い失明しました。茂樹さんに心配をかけまいと、家族はそのことを黙っていたそうです。視力を失い、49歳という若さで亡くなった母親への思いを胸に決意したのが、「目の見えない人にも美術品を楽しんでもらえる美術館」を開くことでした。

10年間で200軒近い物件を見て回り、ようやく見つけたのが六甲山にある現在の建物でした。元保養所を自宅兼美術館として、2013年12月に「六甲山の上美術館 さわるみゅーじあむ」をオープンしました。

かつて食堂で使われていた食卓は展示台に、元会議室は展示室に生まれ変わりました。さらに保養所時代の厨房を利用してレストランの営業も始めるなど、美術館では保養所時代の設備を有効活用しています。

また新たな試みとして、六甲山まで来られない人にも触れる美術館を体験してもらおうと、店などに美術品を運び込み展示する「移動式美術館」も始めました。作品に触れる新しい美術館を多くの人に楽しんでもらおうと日々奮闘する茂樹さんと、それを支える妻・貴美子さんの日常を紹介します。

以前は保養所として使われていた「六甲山の上美術館 さわるみゅーじあむ」は保養所時代のテーブルや部屋などを今も活用しています。随所に保養所の名残が見られ、普通の美術館とは一味違った雰囲気を楽しめます。

この日は視覚障害を持つ方々が来館されました。普段はできない美術品を「さわって鑑賞する」という新しい楽しみ方にみなさん大満足。お客さんの笑顔を見て、茂樹さんや貴美子さんも嬉しそうでした。

広々とした美術館ですが、矢野家の皆さんが過ごす「リビング」はかつての「管理人室」です。こじんまりとした空間で過ごす家族団らんのひと時。なんだかホッとするひと時です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.11 NO.34

先週は、息子と次女夫婦が遊びに来てくれました。息子とは、オープンしたばかりの洋食屋に食べに行きました。千歳烏山で営業していた「はしぐち亭」という洋食屋で、店の環境が変わってしまい、一度店じまいをしたそうですが、3年後に経堂で店を再開させたそうです。ちとかライスというピリ辛の牛筋のマスタードライスは、一見黒カレーのようですが、デミグラスソースでとても美味でした。

次女夫婦とは、これまたお気に入りの洋食屋の「ウルトラ」という店に食べに行きました。この店は、ハンバーグなどの洋食が美味しく、どの料理もとても手が込んでいて美味しく、しかも安い店で、いろいろな料理を堪能しました。

しかし洋食は、油こいのと夜の外出が続き、寒いところを出かけたせいで、胃腸の調子を壊して、胃がもたれて仕方がない感じが今も続いています。まだ本調子には、なれないので、体力不足を感じます。

軽井沢での場合も寒いところに外出すると体調が悪くなるみたいで、この状態が改善しないと、本調子には戻れない気がします。
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2016年11月21日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第407号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第407回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.137>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、眼鏡フレーム生産量日本一で有名な福井県鯖江市が舞台です。故郷に戻りたこ焼き店を始めた齋藤栄一さん(64歳)と令子さん(62歳)が主人公です。

ご夫婦が作るのは、本場・大阪風のたこ焼き。味はもちろん、明るいご夫婦が切り盛りするお店はお客さんに大好評です。

鯖江市出身の栄一さんは、大阪で小学校の教師をしていた24歳の時、令子さんと結婚し、3人の子どもが生まれました。熱血先生だった栄一さんは、家庭でも「これやるで」と常に何でもマイペースに決めていくお父さんでした。そんな中、鯖江市に暮らす母・ユリ子さんが病を患い、定年退職後は介護のために故郷に戻ると決めた栄一さんは、どうせ帰るなら何かを始めたいと「大阪やったら粉もんやろ、そうだ、たこ焼き屋さんになろう」と勝手に決断します。

栄一さんから何の相談もなかったという令子さんでしたが、黙ってついてきてくれました。そんなご夫婦に厳しく、そして惜しみなくたこ焼き作りの技を伝授してくれた師匠が、人気のたこ焼き店を営んでいた次男の充さん。そして2010年10月、たこ焼き店「まいど おおきに」を始めました。

たこ焼きの生地は、師匠・充さん秘伝のレシピです。そして味の決め手となるのは、近所の蕎麦屋「二男坊」からもらう天かすです。天ぷらを揚げるときに出来る天かすには、エビや野菜のうまみが染み込んでいます。また、たこ焼きの上に乗せる九条ねぎは「まいど おおきに」の裏の畑で育てているので新鮮でシャキシャキ。また栄一さんは、作り置きはせず、注文を受けてから焼きます。大阪風の「外側がカリッ、中はトロッ」とした食感を楽しんでもらうためのこだわりです。

お店の中に、筆で丁寧に書かれた「たこ焼き師の認定証」なるものが掲げてあります。息子であり、たこ焼きの師匠でもある充さんが贈ってくれたもの。ある日、師匠・充さんがお店の様子を見に来てくれました。じっとご夫婦の手元を見つめる充さんに、二人とも緊張の様子に、そしてすかさず、「これは焼きすぎ」「早く転がして!」など厳しいチェックが入ります。でも、たこ焼きの焼き方は「きれい!」とお褒めの言葉を頂きました。

次男・充さんと娘の朋子さんご家族が自宅に集い、ワイワイ楽しく夕食です。宴もたけなわの頃電気が消え、朋子さんが4本のロウソクが灯ったケーキを運んできました。実は「まいど おおきに」はちょうど4周年です。子供達とお孫さんが、サプライズのお祝いを計画していたんです。びっくりしたのと嬉しいのとで、令子さんは大号泣!改めて、「お店を始めて良かった」と感じたご夫婦でした。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.11 NO.33

先週は、退院してから2度目の診察がありました。血液の値は、白血球の値も血小板の値も大分上がって来ていますが、肝臓の数値が悪く、肝炎の検査をしましたが、大丈夫でした。

薬のせいで肝臓の値は上昇することは、今までにもありましたが、現在は、薬も服用していなく、お酒も飲んでいないので、念のために検査をしましたが、原因は特定できませんでした。

退院後から体重が3キロ減っており、筋肉も減少しているので、その対策を聞いてみましたが、今回の治療は体に相当のダメージがあり、体重の減少もやむを得ないとのことであり、まだ本格的な筋トレなどは、行ってはいけないと言われました。

毎日リハビリにために歩いているので、足の筋肉は大分戻ってきましたが、まだ犬を抱いて散歩に連れて行くことができません。今は少しづつ筋トレを自宅で行うしかなさそうです。

仕事では、先週には、2件の顧問先に訪問しましたが、つるつるの頭でも、特に心配はされなかったので、少し安心しました。来年からの法律改正や現在使用しているクラウドシステムの未採用顧問への導入などの折衝があり、12月まで忙しくなりそうです。
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2016年10月24日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第404号!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第404回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.133>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、南アルプスや八ヶ岳を望む山梨県北杜市が舞台です。東京から移住し、家族で小さなパン屋さんを営む、紺清由美子さん(61歳)と夫の朗生さん(61歳が主人公です。

東京都出身で、26歳の時に朗生さんと結婚した由美子さん。翌年には長男の悠人さんが生まれました。夫婦共働きを続けながら、共通の趣味である登山を楽しんでいましたが、由美子さんは50歳の時に大病を経験しました。

この事がきっかけとなり「自然に囲まれた暮らしをしたい」と思うようになりました。また、パン作り教室に通っていた由美子さんは都会を離れ大好きなパンの店を開く夢を抱きます。そして55歳で会社を退職、山々に囲まれた北杜市に土地を購入しました。当時、朗生さんは二地域居住を考えていましたが、北杜市の家が完成すると、気候と眺めが気に入り、一緒に移住することを決めました。

2012年12月、北杜市に移住。そして一ヵ月後の2013年1月、悠人さんも加わり、家族三人で天然酵母のパン「ろくぶんぎ」をオープンしました。お店では、家族三人がそれぞれの持ち味を生かし、作業を分担してパンを焼きあげます。自分たちが楽しむ時間も大切にしたいと、営業は金曜日から月曜日までの週4日です。お休みの日には夫婦二人で大好きな山登りに出かけ、北杜市の自然を満喫しています。さらに移住仲間と一緒に畑で作物を育てるなど、充実した毎日を送っています。

由美子さんと長男の悠人さん、そして朗生さんの家族三人で焼き上げる「ろくぶんぎ」のパン作りは、毎日30種類ほどのパンを焼いています。天然酵母を使っているので、生地はもっちもち。食べごたえ充分のパンです。地元の農家から借りた畑で、仲間と共同で野菜作りをしている紺清さん夫婦は、この春に初めて植えたサツマイモを収穫します。色鮮やかで、立派に育ったサツマイモは「ろくぶんぎ」で出すパンの材料になります。

畑で収穫したサツマイモを、スイートポテトパンの餡に加工します。じっくりと煮込んだ後、潰してペースト状にしていきます。甘くてしっとりとしたサツマイモは、モチモチとした食感のパンにマッチして大人気です。他にも、イチジクやカボチャなど、季節の食材を使ったパンがお店に並びます。

「ろくぶんぎ」がお休みの日は、趣味の登山や自然散策に出かけることが多い紺清さん夫婦ですが、この日は自宅から車で20分の「美し森」にやってきました。

散策路を登っていくと南アルプスや富士山を眺めることができました。展望広場では、移り変わる雲を眺めながらのコーヒータイムで、北杜市の自然を満喫できました。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.30

先週は、白血球も数値が上がったので、クリーンルームを出されることになりました。クリーンルームは、テレビも見放題ですし、トイレも同室にあり、個室なので。音も気にすることがなく、大変便利でしたが、最後は大部屋に移る決まりもありしょうがありません。

確かに大部屋は、トイレに歩いたり、自分でパンを焼いたり、運動するようになります。また足腰が弱っているので、朝は本館の2階を3周することにしました。朝の6時台では、誰もいないのでいい運動になります。

血液検査では、血小板が立ち上がって来るのが、最後の心配でしたが、安定してきて、ついに昨日の日曜日に退院することができました。先生も心配をして日曜日の9時まで抗生剤の点滴が続きました。

退院して家に戻って来てうれしいのですが、今回のダメージはひどく、動き回ることができません。明日からしっかりリハビリを行いたいと思っています。
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2016年10月17日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」402号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第402回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.131>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

宮城県の沿岸部に位置し、農業が盛んな亘理郡山元町が、今回の舞台です。 稲作農家をしながら、休耕田でそばを栽培している伊藤久光さん(60歳)が主人公です。

久光さんは2006年、減反政策の一環で休耕田を使い、ヒマワリなどの緑肥を地域の仲間と植え、「チームひまわり」を結成しました。翌年からそばを育てるようになり、町の特産にまで広げたいと考えるようになりました。この活動に参加していたのが久光さんと農業の未来を語り合う親友、桔梗幸博さんでした。桔梗さんは広大な畑でブドウを育て、ワイナリーを営む農家仲間。しかし2011年3月、ブドウ畑は津波に襲われ、桔梗さんも犠牲になってしまいます。久光さんは親友のためにと、2年後の夏にブドウ畑だった土地にそばの種をまきました。塩害のあった畑に綺麗な白い花が咲いたとき、町の復興の勇気に繋がったといいます。それから久光さんは「チームひまわり」の仲間とともに、町の様々な場所でそばを育てるようになりました。

「チームひまわり」のメンバー、日野さんと萱場さんの3人で、今年からそばを植えている場所を見に来ました。元々リンゴ畑だった土地をそば畑にしたいという依頼で、8月に種を蒔いたこの場所。そばはしっかりと根を生やしている様子です。収穫まであと少し、そばの逞しい生命力で、ぐんぐん育ってくれることを祈る「チームひまわり」です。

9月上旬、県の内外からお客さんを招いて「そばの花見会」が開催されました。今年も綺麗に咲いた白いそばの花を見て、楽しむ皆さん。花見を楽しんだ後は、山元町産のそば粉を使った、打ち立てのそばを頂きます。白い綺麗なそばの花を愛で、茹でたてのそばを味わう…皆さん大満足の様子です。

伊藤さんご夫婦は、桔梗さんのそば畑の様子を見に来ました。今年は天候の影響なのか、少し育ちが遅れていたこの畑。親友の畑とあって久光さんも気がかりでした。でもこの日、真っ白な、綺麗な花が満開です。「桔梗くんが空の上で見ていてくれている気がする」と、さらに気を引き締め頑張ろう!と、気合いを入れ直した久光さんです。


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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.28

先週1週間も、ずっと8℃から9℃台の高熱が続いており、実は今は8.3℃の熱がある中で必死に書いております。

日曜日の検査で白血球は、300までやっと上がりましたが、これは測定機械の誤りであり、翌日の検査では、白血球100まで戻る、こととなり、日曜日、白血球は200となりました。

白血球の数値は、上がることはあっても、下がるこのはありません、訳が分状況です。


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メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2第403号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第403回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.132>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上
がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います


今回は静岡県浜松市が舞台です。自然豊かな浜松市天竜区で家具工房とカフェをはじめた山口誠二さん(68歳)と妻・孝子さん(67歳)が主人公です。

浜松市で生まれ育った誠二さんは、大学を卒業後、東京の会社に就職しました。しかし満員電車に揺られ通勤する忙しい日々に嫌気がさし、地元に戻り半導体メーカーに再就職しました。私生活では2つ年下の孝子さんと結婚し、女の子が生れました。

日曜大工が趣味だった誠二さんに転機が訪れたのは50歳の時。友人が木工を教える工房を開いたのがきっかけでした。「自分も自然豊かな土地で、大好きな木工をやりながら暮らしたい」と考えるようになり、63歳の
時に早期退職を決意します。その後、奈良県の職業訓練校で1年間木工の基礎を学びます。そして2014年、手作り家具工房「Studio Maestro(スタジオ・マエストロ)」と「Caf? Maestro(カフェ・マエストロ)」をオープンしました。月曜日から金曜日は家具作り。誠二さんが作る家具は曲線が多く、レトロカントリー風の素朴なデザインが特徴です。

土曜日と日曜日は家具工房がカフェに変身します。人気メニューは5時間かけて作る自慢のオリジナルカレーは、土日の2日間でわずか5食の限定メニューです。

一方、自宅などで歌の指導をしている妻の孝子さんは、友人や知人に誠二さんの家具をPRしてくれます。自宅にある家具を見て、注文してくれるお客様もいらっしゃいます。

この日、誠二さんは子供用のイスを納品するためお客様の元を訪ねました。イスを頼んだお蕎麦屋のご夫婦は、その出来栄えに大喜び。お客様の笑顔に、またヤル気が湧いてくる誠二さんでした。

妻・孝子さんの友人からイスの注文が入り、デザインの打ち合わせです。デザインは一発OKでした。注文はイス4脚です。早速工房に戻り作業に取り掛かります。完成が待ち遠しいです。

この日は天竜区の移住者仲間の集い「山人(やまびと)の会」です。誠二さんは移住ではありませんが、年齢も仕事も様々な人との交流を楽しんでいます。特に若い移住者からは様々な刺激を受け、新たな創作意欲が湧いてくるそうです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.29

今週は、熱も落ち着き、白血球は、3700まで上昇しました。少し体が、動かせるようになったので、シャワーを2週間ぶりにあびましたが、足元がふらついて大変でした。

1カ月以上歩いたりしてないので、現在は、看護師や妻に一緒に歩き始めました。筋力がいかに弱っているかを実感しました。また肺や体に水が、溜まっており、利尿剤などを使って水を抜くようにしています、

またここまで白血球の値が上昇すると、現在のクリーンルームを出されてしまいます。また大部屋へ戻ると考えると不安です。クルーンルームは、清潔で、トイレもついており、テレビも見放題です。この生活から離れ
るたくないですが、しょうがないですね。
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2016年10月03日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」401号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第401回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.130>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している
人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

歴史的な建物が多く残る富田林市寺内町で喫茶店を始めた林和子さん(70歳)と正友さん(73歳)が主人公です。

大阪府出身の和子さんと正友さんは大学卒業後、同じ大阪府松原市内の中学校で教壇に立ち、20代の時に結婚しました。教員として60代半ばまで忙しく過ごしたお二人。3年前に寺内町を訪れ、ゆったりとした町並みが気に入り、移住することにしました。さらに、人と関わって楽しく過ごすために喫茶店を開

お客さんにくつろいでもらえるように、店内は普通の家のような内装になっています。店の自慢は家庭科の先生だった和子さんが作る日替わりランチ。添えられたピクルスは正友さん手作りです。お店には近所の方や友人、そして二人の教え子たちもやってきます。正友さんが50年前に初めて受け持った生徒は、今では60代。移り住んだ寺内町の良さを知ってもらいたいと、かつての教え子たちを連れて町を案内しました。寺内町で年に1度開催される「富田林寺内町燈路」では、夫婦で行燈を作って参加しました。これからも積極的に町に関わっていきたい、と正友さんは言います。和子さんは、この夏からパン教室を始め、より多くの人との交流を期待しています。

お客さんにくつろいでもらいたいと、店内の内装は普通の家のリビングのようになっているんです。初めて訪れるお客さんは入るのに戸惑ってしまいます。お店の自慢は家庭科の先生だった和子さんが作る日替わりランチ。添えられているピクルスは正友さんが作るこだわりの味です。お客さんには料理も会話も楽しんでもらいたいと思っています。

この日、正友さんが初めて教壇に立った中学校の教え子たちがお店にやってきました。50年来の付き合いです。正友さんはそんな教え子たちに寺内町の良さを知ってもらうため、正友さんが町案内をしました。町には「越し屋根」や「忍返し」などの伝統的な建築様式が至る所で見られます。

より多くの人との交流を期待して、和子さんは今年の夏からパン教室も始めました。今回の生徒さんは大阪府内に住む友人。皆さんパン作りは初めてですが、和子さんの説明を聞きながら楽しんでミニ食パンを完成させました。生徒さんが「美味しい」と喜ぶ顔を見て和子さんも嬉しそうです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.27

先週1週間は、ずっと8℃から9℃台の高熱が続いており、実は今は9.3℃の熱がある中で必死に書いております。

日曜日の検査で白血球は、300までやっと上がりましたが、先週は100しかない状況です。この状態は黴菌がいれば、どんどん受け入れてしまう状況で、自分で菌を体内のいれないよう、起きれば、うがい薬、歯ブラシ、朝食後にまた歯ブラシ、昼食、夕食後も歯ブラシで、とにかく口内をケアしています。

後はひたすら冷凍になったジェルを数時間置きに取り替えて、ひたすら寝るだけです。


posted by 國井 正 at 10:08| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第400号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第400回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.130>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回の舞台は神奈川県箱根町です。箱根旧街道の側で喫茶店を営む方をご紹介します。

神奈川県箱根町で喫茶店「山小屋佐藤」を営む佐藤昭男さん(64歳)です。神奈川県小田原市で生まれ育った昭男さん。趣味の登山で出会った眞里さんと23歳の時に結婚し、二男一女が生まれました。登山好きで森林での生活に憧れていた昭男さんは子育てが落ち着いた頃、早期退職を決意しました。

退職後、自然に溢れた土地を探し始めました。箱根町に土地を購入し、植物が生い茂る自然を残しながら山小屋を建築し、箱根で生活を始めると、ご近所さんたちに敷地の木々や野鳥の説明をするようになり、いっそのことお店にしようと2008年10月「山小屋佐藤」をオープンしました。

お客様をもてなしながら営業していましたが、眞里さんが癌と診断され63歳で亡くなってしまいます。眞里さんが亡くなり塞ぎがちだった昭男さんでしたが、町の友人たちの励ましによって、再びお店を開くようになり、改めて箱根町での暮らしを楽しんでいます。

約370坪の土地は、購入した当時のままの自然を残している「山小屋佐藤」です。木々が生い茂る庭には、様々な野鳥が遊びにきます。ヤマガラやヤマバト、ガビチョウに加えてキジも時々姿を現します。そんな箱根の自然が溢れる小さな森の中で、美味しいコーヒーを楽しめると日々、様々なお客様がやってきます。

箱根町の観光美化パトロール隊の隊員をしている佐藤さんは、この日は、地域の隊員たちと芦ノ湖の湖畔から駒ヶ岳山頂へパトロールをします。路上に落ちているゴミを拾いながら、危険な場所がないかチェックしていきます。箱根駒ヶ岳ロープウェーで山頂に上がり、周囲の確認を行います。これからも歴史と自然が残る箱根町にしていきたいと、佐藤さんは活動に力を入れています。

箱根に370坪の土地とは、羨ましい限りですが、奥様が健在でしたら、二人でいい喫茶店ができたと思いますが、仕方がないですね。


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◆編集後記

白血病闘病記2016.9 NO.28

先週クリーンルームに入れたことは、報告しましたが、キロサイトの大量投与が終わって2日目で、すでに白血球の値が、300となりました。従来はもう少し数値が下がってくるのが、遅いのですが、相当骨髄がくたびれているようです。

翌日には、白血球が100未満に下がり、いよいよ無防備状態に入ってきました。2日儀にはいよいよ熱が出てきました。今回は37℃台で止まっているのでですが、週末には38℃台になりました、くらくらする感じはありませんが、前回は2週間程度高熱が続きましたので、予断を許せない状況です。


今回は、担当医師も前回の高熱を踏まえて、早めに抗生剤を投与していただいたいるので、何とか抑えられている感じがします。後は、いつ白血球が、上がってくるかを待つのみです。
posted by 國井 正 at 08:47| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月12日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第398号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思
いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第398回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.128>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回の舞台は石川県珠洲市です。のどかな山間で代々受け継ぐ古民家を使い、農業体験が出来る農家民宿「古民家 奈良木」を始めた奈良木美津子さん(68歳)が主人公です。

珠洲市出身で、四人姉妹の三女に生まれた美津子さんは奈良木家の跡継ぎとなり、隣町に住んでいた船員の延夫さんを婿にとりました。市役所勤めをしながら3人の子供を育てます。1999年、大学生のグループから「かやぶきの屋根に泊まって稲刈り体験がしたい」と市役所に依頼がありました。奈良木家に宿泊した学生たちは、とても感激して帰りました。その事をきっかけに、農業体験や田舎暮らしを通して、色々な人とのふれあいを持ちたいと思うようになりました。

そして2009年、美津子さんは定年退職後に自宅をほぼそのまま活用し、農家民宿「古民家 奈良木」を始めました。宿の目の前にある田んぼで田植えや稲刈りはもちろん、季節ごとに様々な田舎暮らしを体験をすることができます。宿の料理は、美津子さんと夫の延夫さんが作った米、親戚や近所の方々の畑で採れる旬の野菜、そして奥能登の漁師さんから頂く海の幸を使った田舎料理でもてなします。昔から自分たちが食べていた料理が、お客さんに喜ばれています。

実りの秋を迎え、田んぼでは稲刈りの準備を進めています。米作りに関しては夫の延夫さんが主役で、美津子さんは補助です。稲刈りを前に、ご夫婦は刈り取った稲を吊るして乾燥させるための「稲架」を作ります。「稲架」で干した米のほうが甘みがあると美津子さんは言います。多くの人に自慢の米を届けたいと、ご夫婦は笑顔で話します。美津子さんが主役となって頑張っているのは、赤い屋根の自宅で開いた農家民宿「古民家 奈良木」です。先祖代々続く古民家は、歴史を感じさせる重厚な造りで、宿泊は座敷など4つの部屋を自由に使えます。土間も広々として風格があります。古民家は、「書き物はないから証明できないけど、築300年程だそうです」と美津子さんは話します。

「古民家 奈良木」には、決まった体験プログラムがありません。その季節に合った、田舎暮らしを楽しむというコンセプトで、お客様の要望に応えています。夏は、昔ながらの天日干しでの梅干し作りです。これは「土用干し」と呼ばれる作業で、梅を3日間天日に干しますが、3日目は外に出したまま夜露に当てます。そうする事で柔らかくて美味しい梅干しになるんです。今ではあまり見られなくなった農村の風景です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.9 NO.26

土曜日に病院から連絡がある、予定どおり今日から最後3クール目の入院をします。朝はできるだけ、歩くようにして体力づくりに努力しましたが、今回は体重は戻らなく、その成果筋力も不足している気がしますが、潔く入院します。

先週は、2人の友人と経堂でランチをしました。現在は、お酒は殆ど飲んでいないので、夜はお断りしてランチをお願いしました。

1人は、世田谷区の料理教室の仲間であり、同級生で経堂に住んでいるので、よく一緒に飲みに行くのですが、今回は、ランチ&喫茶です。奥様は仕事をされていたので、夕食はいつも家族のために作っている偉い方です。同じ金融機関出身ということもあり、話も合います。次回は、夜に退院祝いをしようという話になりました。

もう1人は、中学の同級生で、大学も同じなのですが、久しぶりに同窓会であって、成城学園に住んでいることもあり、やはり二人でよく飲みにいきます。また彼から自分が理事をしているNPO法人の仕事も紹介してもらっているので、少し気を遣う存在ですが、やはり金融機関出身なので、話も合います。

同じ地域にいる友人は、これから非常に大事な存在になると思います。ランチもよし、夜に飲みに行っても歩いてかえる距離だったら安心です。

お二人に励まされて、入院生活を、再度頑張る気が出てきました。

posted by 國井 正 at 09:36| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第397号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第397回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.127>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回の舞台は、大分県の南西部、豊後大野市にある山深い里、鳥屋地区です。故郷おこしをしようと東京から単身で豊後大野市鳥屋地区にUターンし、養蜂を始めた羽田野弘文さん(63歳)が主人公です。

地元出身の弘文さんは進学を機に上京、東京の旅行会社やイベント会社で働きました。妻の弘子さんと27歳の時に結婚し、お盆やお正月には必ず家族と共に帰省しましたが、その度に、母校が廃校になったり空き家が増えたりと、寂しい話を耳にします。「故郷を何とかしたい」強くそう感じた弘文さんは、村おこしをする方法をあれこれと考えます。そして、これだと思ったのが、蜜が希少といわれるニホンミツバチの養蜂でした。2013年、家族を東京に残し単身帰郷した弘文さんは、養蜂をスタートさせました。

ニホンミツバチは、1年かけて様々な花々から蜜を集めて来るため、奥行きある深い味わいを持つ蜜になると言われます。最近では、弘文さんに賛同して村おこしの活動に協力してくれる仲間も現れました。この季節は年に一度の採蜜の時期。弘文さんの一番の理解者である妻・弘子さんも手伝いに東京からやってきます。

養蜂場にやってきた弘文さんは、巣の状態を確認します。蜜がほとんどたまっていないものや、蜂たちが蜜を溜めている途中できらきら光っているものなど状態は様々です。その中でも白くミツロウでフタがされている巣は、採蜜のタイミングです。蜂たちは花から蜜を集め、巣に蜂蜜を溜めていく過程で、羽で風を送り糖度を高めます。そして糖度が高くなった蜂蜜にフタをしていくのです。弘文さんは蜂たちに感謝しながら、蜂蜜を絞ります。

ある日、弘文さんの自宅に大勢のお客さんがやってきました。皆さんを連れてきたのは「大分和蜂倶楽部」会長、大神さんです。弘文さんも所属している、ニホンミツバチの養蜂を広めるための会で、この日は養蜂初心者へのレクチャーを開催しました。参加者の一人、羽田野元紀さんは弘文さんの地元の先輩です。養蜂で故郷おこしをしようと頑張る弘文さんの姿を見て、「手伝ってやろう」と養蜂を始めることになったそうです。

東京に暮らす妻の弘子さんが、弘文さんの元に来てくれました。一人で暮らす夫をねぎらって家事をこなし、さらに採蜜した蜂蜜の瓶詰め作業も手伝います。今年の蜂蜜の出来に、弘子さんも「美味しい」と太鼓判を押してくれました。実は最近、嬉しいニュースが。弘文さんの蜂蜜が「ふるさと納税」の返礼品に選ばれたんです。この夜、心のこもった手料理を何品も作ってくれた弘子さん。一人で町おこしに尽力する弘文さんを、心から尊敬しているそうです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.9 NO.25

退院してから3週間が経過し、大分体調も良くなって来ました。毎朝の散歩のお蔭で、大分足の筋力も戻って来ました。先週の診察時に、旅行に行ってもいわれましたので、先週は1泊で、愛犬を連れて山中湖に行って来ました。

天気は、あまりよくなく富士山は見えませんでしたが、湖畔を散歩していると、最高の気分転換になります。忍野が近いので、夕飯は、豆腐やニジマスを食べて山中湖の味を堪能しました。忍野の豆腐は、水がいいので、すごく美味しい豆腐ですので、ぜひ試して見てください。

先週は、妻の妹夫婦が遊びに来てくれたり、次女の夫婦が犬を連れて来てくれたり、非常に忙しい1週間でした。あと1週間で再入院ですが、さらにリハビリを頑張って体力を回復させたいと考えています。
posted by 國井 正 at 09:56| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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