2016年12月26日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第411号

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第411回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.141>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、漆喰の歴史のある町並みが今も残る愛媛県内子町が舞台です。そんな町で、竹細工の工房を開いた武智壽夫(ひさお)さん(65歳)が主人公です。

内子町の隣町、大洲市出身の壽夫さんは、大学を卒業後、大阪でサラリーマンをしていました。壽夫さんの趣味はトライアスロン、しかし、50代半ばに怪我をしてしまい、続けることが出来なくなってしまいます。そんな時に出会ったのが竹細工でした。竹の奥深さに魅せられ、次第に職人になりたいと考えるようになります。

58歳で早期退職し、京都伝統工芸大学校に入学し、本格的に竹細工を学び始めました。在学中、展示会にバッグを出品した際、3つ売れたことが自信となり、竹細工職人として生きていこうと決意しました。大学校を卒業後、故郷に戻り、そこで1軒の空き家に出会いました。その空き家は、訪れたことのある和傘屋さんだった古民家でした。訪れた当時からこんなところで工房をやってみたいと憧れを抱いていた壽夫さん、そして2012年6月、その古民家で念願の竹細工工房「武工房」を開きました。

壽夫さんが営む「武工房」では、茶托や風車など様々な竹細工が作られています。中でも壽夫さんが得意とするのは竹で作るバッグです。竹の皮を削った部分とそうでない部分を上手に組み合わせて模様を描くバッグは自信作です。使い続ける程、経年変化で竹の皮を削った部分が飴色に変わり、模様がはっきりと浮かび上がるんです。この経年変化するバッグは、お客さんにも大好評で、1年待ち状態なんです。

「武工房」には、壽夫さんを心配してよく訪ねて来る方がいます。壽夫さんのお姉さんの奉子さんです。竹細工で忙しい壽夫さんのために週3日ほど美味しいご飯を持って来てくれます。工房の縁側で奉子さんから頂いた美味しいご飯を食べて、大好きな竹細工に打ち込みます。幸せ者の壽夫さんです。

11月・12月が竹の切り時です。この日は、お弟子さんたち、さらにザル専門の竹細工職人の秋山さんと共に竹を切りに隣町にやって来ました。

壽夫さんが使うのは柔軟性があり竹細工に適した真竹。中でもバッグ作りに最適な節の間隔が長いものを選びます。切り出した竹は、通常、油抜きという作業をして白竹と呼ばれる状態にして使いますが、この時期は限定商品として、清々しい青竹をそのまま使ったお弁当箱もあるんです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.37

骨髄検査の結果は、陰性でしたが、実は、11月から肝臓の数値が、良くなくて、12月になっても次第に数値が高くなっており、GOTは標準数値の10倍、GPTは標準数値の10倍以上、γGTも10倍の数値があります。

最初は、B型、C型肝炎の検査をしましたが、陰性であり、今週は肝臓になかにあるウィルスの検査とCT検査を行う予定です。体もすこし怠い感じがしますので、早く原因を掴みたいと思っています。

体は、元気になって来ているにも関わらず、万全というわけには、いかないので、早く原因を掴んで、対策を考えないといけないのですが、場合によっては、内科の専門医のコンサルが必要かもしれません。




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メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第412号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第412回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.142>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、漁師町、京都府宮津市が舞台です。京都府宮津市で漁家民泊を始めた嶋崎長夫さん(69歳)と妻の郁子さん(64歳)ご夫婦が主人公です。

漁業の町、宮津市大島地区に生まれ育った長夫さんは、高校を卒業すると地元で働き始め、保育士をしていた郁子さんと結婚しました。幼少期から海と共に暮らしてきた長夫さんは、何か海での仕事をしたいと、56歳で退職し漁師に転身しました。一方、郁子さんは保育士として勤めを続けていましたが、「退職後は全く違う仕事を経験してみたい」と考え始めます。家に沢山の人が寄り、楽しいことが良いと思った郁子さんは、「お父さんの海の幸を使って、宿を始めたらどうだろう」と考えます。あまり乗り気でなかった長夫さんを巻き込み、2015年8月に「農家・漁家民泊 長栄丸」をオープンさせました。

一日一組限定で、自宅の一室が宿泊部屋です。長夫さんが磯に仕掛けた網を引き上げる「もんどり漁」の体験や新鮮な魚を地元ならではの調理法で食べられるとお客様には評判です。しかし、オープンからまだ1年4カ月で、冬場の今は、全くお客さんが来ない長栄丸でしたが、ご夫婦は、冬でもお客さんに楽しんでもらえるものは何かと考えています。旬の食べ物や冬の海だからこその体験メニューなど試行錯誤の毎日です。

嶋崎さん夫婦の昼食の食卓には、目の前の海で取れた魚の煮付けや、海藻で作った伝統料理など、漁師のお宅ならではのおかずが並びました。漁師町で自分たちが昔から食べてきたものを、お客様にも味わって欲しいと考えている郁子さんは、豊かな若狭湾に面し、人々が海の恩恵を受けて暮らしてきた宮津市大島でした。長夫さんも郁子さんも、この町ならではの文化や伝統を大勢の人に知って貰いたいと考えています。

冬場にどんな体験が出来るのかを知って貰おうと、友人を宿に招待し、意見を聞くことにした嶋崎さんご夫婦は、この季節ならではの海の幸満載の料理はもちろん、大好評だったのが、長夫さんの漁船に同乗してもらう漁の体験です。「箱眼鏡」という箱にガラスを張った道具を使えば、冬ならではの澄んで綺麗な海の底がはっきり見えます。また、その場で長夫さんが獲ったアワビをぶつ切りにして食べます。この美味しさにはお客さんも歓喜の声をあげていました。また、舟屋で有名な隣の伊根町へも、船に乗って観光に出掛けられます。いろんな海の体験に、友人たちは大満足のご様子でした。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.38

CT検査の結果、肝臓に問題はありませんでした。血液検査の数値も先週の10分の1の数値に下がっており、ただ炎症反応の値が、急に上がっているので、肝臓に何らかのウィルスがあり、その原因で、この数週間の肝臓に値に問題が出て来て、現在はそのウィルスが肝臓からでて来て炎症反応が上がっているとしか考えられません。

CT検査の結果、今度は肺に影があり、追加でカビの検査と肺結核の検査を行いました。この結果は今週聞きに行く予定です。

やはり今回の数カ月にわたる治療の副作用であると考えられます。特に肺は、肺炎になりましたし、白血球低下による様々な影響が出た、体が、異常な反応があった影響で、治療後も様々な症状が出て来ているのでは、ないかと考えています。
posted by 國井 正 at 10:35| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第410号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第410回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.140>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、山間の小さな盆地に広がる静かな城下町、津和野町が舞台です。

農業の傍ら、地元を活性化させようと、食事処「農家レストラン ちしゃの木」を始めた青木登志男さん(67歳)と妻・みゆきさん(64歳)が主人公です。

津和野町出身で家業の農家を継いだ登志男さんは、27歳の時、みゆきさんと結婚し、二人の男の子が生まれました。米、野菜、栗を栽培し日々農業と向き合う暮らしの中で、登志男さんは農業の行く末を案じるようになっていました。「これからの農業は、原材料の生産だけでなく作物を加工し商品として販売することが必要だ」と考えました。

そこで最初に挑戦したのが、自慢の栗を使った菓子作りでした。しかし農業の経験しかなかった為、失敗の連続でした。それでも諦めず試行錯誤を続けた登志男さんでしたが、頑張りすぎたのか、体調を崩し2カ月の入院しました。病床で登志男さんは「このまま人生を終わるわけにはいかない。もう一丁頑張ろう」そう自分自身を奮い立たせ考え付いたのが、趣味で打っていた蕎麦と自宅の栗を使った、地産地消の農家レストランでした。

学校給食の栄養士をしていた妻・みゆきさんも、店のメニューを考えるなど手伝ってくれました。また、長男・秀作さんも製菓専門学校を卒業後、栗菓子作りを本格的に手伝ってくれるようになります。

店名の「ちしゃの木」は、自宅の屋号に因んで付けました。この季節の人気メニューは蕎麦と栗ご飯がセットになった「そば栗セット」でした。蕎麦は登志男さんが打った「十割そば」で、つなぎを使わない十割蕎麦は、水回しと練りを短時間で行うのが一番重要だと言います。妻・みゆきさんが作る栗ご飯は、白米8、餅米2の割合でブレンドし、蕎麦汁を入れて炊いたご飯に、自家製の焼き栗が乗っています

店から車で30分程の自宅敷地内には栗の加工場、農園工房があります。35年前、登志男さん一人で栗菓子作りを始めた場所です。現在は長男の秀作さんが菓子作りをしています。製造販売している菓子は、栗羊羹が中心。ペーストにした栗と糸寒天などを混ぜ煮込んで作ります。栗羊羹は津和野町内で30軒の店に販売をお願いしています。

「農家レストラン ちしゃの木」開店して5年を迎えました。青木さんご夫婦は地元の稲荷神社に、酢飯の変わりに蕎麦を詰める「蕎麦いなり」を献上することにしました。津和野の町を見守る高台にある「太皷谷稲成神社」は江戸時代から五穀豊穣、商売繁盛の神様として信仰を集めてきました。「おかげ様で店を無事にやってこられました」と感謝の気持ちと共に、思いを新たにしたお2人です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.36

先週は、退院してから初めての骨髄検査を受けました。先生が私の腰の骨髄液を採取するところを見て、無数の検査の跡があると言っていました。久しぶりに受ける検査は、麻酔をしているのですが、凄く痛くて、飛び上がるほどでした。

また血液検査を行うと、肝臓の値がかなり悪くなっており、現在投薬も受けていないので、原因がわからく、来週再度血液検査を受けて、その値によっては、内科の専門医に診てもらうことになりました。

白血球などの数値は良くなっていますが、なかなか、すべての数値が良いというわけには行かないようです。また骨髄検査の結果も気になりますので、安心することはできないですね。

体力は、回復していますが、体重が増えて行かないのも不安材料です。先日スマートフォンに連動する体重計を購入しました。今までは、朝に体重を測るとスマートフォンのアプリに手入力していましたが、連動型は非常に便利です。

最近は、電動歯磨きもスマートフォン連動の機械を購入して、歯の健康にも気を遣うようになってきました。今までは適当に歯を磨いていましたが、きっちり、2分かけて磨くようになることは、適当な自分には合っています。また舌のクリーニングも行うようになりました。ブラシもマルチのもの以外に、歯垢を取り除くものやホワイトニングのブラシなどがあり、愛用しています。
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2016年12月05日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第409号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第409回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.139>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、京都市右京区の北部に位置する京北地域が舞台です。昔ながらの茅葺き屋根の自宅を利用し、農家民泊を始めた植田秀男さん(60歳)と妻の由加子さん(48歳)が主人公です。

京北地域で生まれ育った秀男さんは、外国に大きな興味を抱き、大学時代には外国へ一人旅をしました。卒業後は呉服問屋に就職。海外に駐在することが決まったので母親に報告すると、「山と実家を守ってほしい」と涙ながらに頼まれ、実家に戻ることを決めました。2007年、京都市内のスポーツジムに通っていた秀男さんは、インストラクターをしていた由加子さんと出会い、2人は翌年に結婚します。

実家に帰ってから事業を立ち上げるも、母親が亡くなった後にたたんでしまい、何か新しいことはできないかと考えていた秀男さんでしたが、そんな時「民泊をやらないか」と、地域の商工会に勧められ、茅葺き屋根の自宅で民泊をやることを決意します。そして2015年7月に農家民泊「徳平庵」をオープンしました。日本の伝統的な茅葺き屋根と、旅のリクエストに柔軟に答える気さくなご夫婦は、外国の方からも大人気です。

この日のお客さんはアメリカから来たジェームスさんとシェリーさんご夫婦です。「日本ならではの特別な体験がしたい」とリクエストで、巨大な杉を見に行ったり、農家の畑で野菜を収穫したりしました。夕食はジェームスさんと由加子さんが、料理をそれぞれ4品ずつ作って乾杯し、「貴重な体験ができた」と大満足の様子です。

宿泊客にも人気の空間、茅葺きの屋根裏部屋では、由加子さんのヨガ教室も行われます。今は隣の南丹市で、ヨガのインストラクターをしています。レッスンは「若さをもらえる」「元気になる」と大好評。リクエストがあれば、宿泊のお客さんにもヨガを教えます。

「徳平庵」に賑やかな笑い声が響いています。カフェスペースを、秀男さんとともに手がけてくれた大工の東さんを始め、気の置けない地元の仲間が集まりました。由加子さん手作りの鍋を囲んで、会話が弾みます。みんな地元が大好き。伝統的な茅葺き屋根を守りつつ、民泊という新たな挑戦をする秀男さんを応援しています。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.12 NO.35

退院してから1カ月以上が経過して、体調は大分戻って来ました。特に減少していた体重が、少し増加してきたので、このまま行けば、筋肉もついてくる気がします。

散歩でも、早く歩けるようになり、筋力が戻りつつある感じがします。先週は、退院後初めて車の運転もしましたが、判断力に不安はありませんでした。

これからは、さらに体力をつけるように、外での運動を増やす必要があるので、頑張ろうと思っています。今週は、退院してから最初の骨髄検査もあるので、結果が心配ですが、すぐに再発することは、ないと思いますので、大丈夫だと思います。

同じ社労士三田会の会員で、世田谷支部でもある同年輩の社労士が、動脈瘤破裂で急死しました。急に胸が苦しくなり、病院に行きましたが、そのまま亡くなったそうです。同じ年代の知り合いが死ぬこともあり、健康には今まで以上に注意することが必要な年代になって来たと言えます。
posted by 國井 正 at 10:48| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第408号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第408回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.138>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、神戸市六甲山が舞台です。元保養所だった建物を利用し、作品に触って楽しめる美術館をはじめた矢野茂樹さん(62歳)と妻・貴美子さん(54歳)が主人公です。

茂樹さんは神戸の高校を卒業後、百貨店に就職しました。海外赴任も経験するなど仕事にまい進しました。30歳の時、宝石店で働いていた貴美子さんと結婚し、夫婦で宝石店を開き、お店を切り盛りしながら4人の子どもを育てました。その傍ら、趣味で彫刻品を集めていた茂樹さんは、いつしか作品を触って楽しめる美術館を開きたいと考え始めます。それは、若くして亡くなった母・和惠さんへのある思いからでした。

茂樹さんが海外で仕事をしている頃、和惠さんはがんを患い失明しました。茂樹さんに心配をかけまいと、家族はそのことを黙っていたそうです。視力を失い、49歳という若さで亡くなった母親への思いを胸に決意したのが、「目の見えない人にも美術品を楽しんでもらえる美術館」を開くことでした。

10年間で200軒近い物件を見て回り、ようやく見つけたのが六甲山にある現在の建物でした。元保養所を自宅兼美術館として、2013年12月に「六甲山の上美術館 さわるみゅーじあむ」をオープンしました。

かつて食堂で使われていた食卓は展示台に、元会議室は展示室に生まれ変わりました。さらに保養所時代の厨房を利用してレストランの営業も始めるなど、美術館では保養所時代の設備を有効活用しています。

また新たな試みとして、六甲山まで来られない人にも触れる美術館を体験してもらおうと、店などに美術品を運び込み展示する「移動式美術館」も始めました。作品に触れる新しい美術館を多くの人に楽しんでもらおうと日々奮闘する茂樹さんと、それを支える妻・貴美子さんの日常を紹介します。

以前は保養所として使われていた「六甲山の上美術館 さわるみゅーじあむ」は保養所時代のテーブルや部屋などを今も活用しています。随所に保養所の名残が見られ、普通の美術館とは一味違った雰囲気を楽しめます。

この日は視覚障害を持つ方々が来館されました。普段はできない美術品を「さわって鑑賞する」という新しい楽しみ方にみなさん大満足。お客さんの笑顔を見て、茂樹さんや貴美子さんも嬉しそうでした。

広々とした美術館ですが、矢野家の皆さんが過ごす「リビング」はかつての「管理人室」です。こじんまりとした空間で過ごす家族団らんのひと時。なんだかホッとするひと時です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.11 NO.34

先週は、息子と次女夫婦が遊びに来てくれました。息子とは、オープンしたばかりの洋食屋に食べに行きました。千歳烏山で営業していた「はしぐち亭」という洋食屋で、店の環境が変わってしまい、一度店じまいをしたそうですが、3年後に経堂で店を再開させたそうです。ちとかライスというピリ辛の牛筋のマスタードライスは、一見黒カレーのようですが、デミグラスソースでとても美味でした。

次女夫婦とは、これまたお気に入りの洋食屋の「ウルトラ」という店に食べに行きました。この店は、ハンバーグなどの洋食が美味しく、どの料理もとても手が込んでいて美味しく、しかも安い店で、いろいろな料理を堪能しました。

しかし洋食は、油こいのと夜の外出が続き、寒いところを出かけたせいで、胃腸の調子を壊して、胃がもたれて仕方がない感じが今も続いています。まだ本調子には、なれないので、体力不足を感じます。

軽井沢での場合も寒いところに外出すると体調が悪くなるみたいで、この状態が改善しないと、本調子には戻れない気がします。
posted by 國井 正 at 19:10| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第407号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第407回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.137>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、眼鏡フレーム生産量日本一で有名な福井県鯖江市が舞台です。故郷に戻りたこ焼き店を始めた齋藤栄一さん(64歳)と令子さん(62歳)が主人公です。

ご夫婦が作るのは、本場・大阪風のたこ焼き。味はもちろん、明るいご夫婦が切り盛りするお店はお客さんに大好評です。

鯖江市出身の栄一さんは、大阪で小学校の教師をしていた24歳の時、令子さんと結婚し、3人の子どもが生まれました。熱血先生だった栄一さんは、家庭でも「これやるで」と常に何でもマイペースに決めていくお父さんでした。そんな中、鯖江市に暮らす母・ユリ子さんが病を患い、定年退職後は介護のために故郷に戻ると決めた栄一さんは、どうせ帰るなら何かを始めたいと「大阪やったら粉もんやろ、そうだ、たこ焼き屋さんになろう」と勝手に決断します。

栄一さんから何の相談もなかったという令子さんでしたが、黙ってついてきてくれました。そんなご夫婦に厳しく、そして惜しみなくたこ焼き作りの技を伝授してくれた師匠が、人気のたこ焼き店を営んでいた次男の充さん。そして2010年10月、たこ焼き店「まいど おおきに」を始めました。

たこ焼きの生地は、師匠・充さん秘伝のレシピです。そして味の決め手となるのは、近所の蕎麦屋「二男坊」からもらう天かすです。天ぷらを揚げるときに出来る天かすには、エビや野菜のうまみが染み込んでいます。また、たこ焼きの上に乗せる九条ねぎは「まいど おおきに」の裏の畑で育てているので新鮮でシャキシャキ。また栄一さんは、作り置きはせず、注文を受けてから焼きます。大阪風の「外側がカリッ、中はトロッ」とした食感を楽しんでもらうためのこだわりです。

お店の中に、筆で丁寧に書かれた「たこ焼き師の認定証」なるものが掲げてあります。息子であり、たこ焼きの師匠でもある充さんが贈ってくれたもの。ある日、師匠・充さんがお店の様子を見に来てくれました。じっとご夫婦の手元を見つめる充さんに、二人とも緊張の様子に、そしてすかさず、「これは焼きすぎ」「早く転がして!」など厳しいチェックが入ります。でも、たこ焼きの焼き方は「きれい!」とお褒めの言葉を頂きました。

次男・充さんと娘の朋子さんご家族が自宅に集い、ワイワイ楽しく夕食です。宴もたけなわの頃電気が消え、朋子さんが4本のロウソクが灯ったケーキを運んできました。実は「まいど おおきに」はちょうど4周年です。子供達とお孫さんが、サプライズのお祝いを計画していたんです。びっくりしたのと嬉しいのとで、令子さんは大号泣!改めて、「お店を始めて良かった」と感じたご夫婦でした。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.11 NO.33

先週は、退院してから2度目の診察がありました。血液の値は、白血球の値も血小板の値も大分上がって来ていますが、肝臓の数値が悪く、肝炎の検査をしましたが、大丈夫でした。

薬のせいで肝臓の値は上昇することは、今までにもありましたが、現在は、薬も服用していなく、お酒も飲んでいないので、念のために検査をしましたが、原因は特定できませんでした。

退院後から体重が3キロ減っており、筋肉も減少しているので、その対策を聞いてみましたが、今回の治療は体に相当のダメージがあり、体重の減少もやむを得ないとのことであり、まだ本格的な筋トレなどは、行ってはいけないと言われました。

毎日リハビリにために歩いているので、足の筋肉は大分戻ってきましたが、まだ犬を抱いて散歩に連れて行くことができません。今は少しづつ筋トレを自宅で行うしかなさそうです。

仕事では、先週には、2件の顧問先に訪問しましたが、つるつるの頭でも、特に心配はされなかったので、少し安心しました。来年からの法律改正や現在使用しているクラウドシステムの未採用顧問への導入などの折衝があり、12月まで忙しくなりそうです。
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2016年11月14日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第406号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第406回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.136>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、山口県岩国市が舞台です。生まれ育った故郷に戻り、日本酒造りに適した酒米を作り始めた弘兼信哉さん(62歳)と妻の千代さん(57歳)夫婦が主人公です。

サラリーマンとして、西日本を中心に転勤の多い生活を送っていた信哉さんは、57歳の時に故郷の岩国市錦町府谷(ふのたに)で暮らしていた父が亡くなると、母を一人にしておけないと、会社を早期退職して夫婦で府谷にUターンしました。そこで過疎化と高齢化が進む故郷の現状を目にした信哉さんは、山口県が栽培を奨励していた酒米「山田錦」を育て、地域活性化の足がかりにしようと考えました。

ご近所さんに田んぼを借りて2015年、61歳で酒米作りを開始し、今年は二度目の収穫を迎えます。妻の千代さんや地域の先輩たちも、奮闘する信哉さんを応援しています。

酒米作りを始めた信哉さんに田んぼを貸してくれたのが廣兼桂子さんです。休耕田になりそうだった田んぼが、今年も稲穂を実らせたのを見て、信哉さんに感謝しています。「故郷の景色を守りたい」それが信哉さん
の願いです。

酒米の収穫期を迎えた信哉さん、地元の先輩の手を借りて稲刈りを始めました。収穫後は一晩乾燥させてから籾摺りを行い、選別機でお米を振り分けます。今年は悪天候の影響もあって、去年の量には届きませんでした。酒米作り二年目、課題は山積みです。

この日、信哉さんが訪れたのは府谷地区にある「グリーンピアやまざと」です。年間契約で家と畑を貸し出している滞在型体験農園施設です。こちらで週末を過ごしているのは重野さんご夫婦です。信哉さんは故郷に活気が戻ってくれればと、交流を重ねています。

山口にもクラインガルデンがあるみたいで、このような施設は、さらに増えるといいと思います。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.11 NO.32

先週は、メールマガジンを発行できず、1週間遅れになってしまいました。

先々週の日曜日に、紅葉を見に軽井沢に旅行にでかけましたが、東京から出たので、あまり防寒の用意をしていませんでした。そしたら軽井沢に着いたら、気温が5℃くらいしかなく、寒くて体調を崩してしまいました。

夜は、嘔吐と下痢があり、眠れない状況であり、翌日に御代田中央記念病院という地元では大きな病院に診てもらい、4時間かけて点滴をしてもらいました。このような状態では、メールマガジンを書くことができなく、発行できずに、申し訳ありませんでした。

翌日からは、体調は良くなりましたが、防寒の洋服などを買い込み、紅葉も楽しむことができました。軽井沢の雲場池では、紅葉祭りで、とてもきれいな景色で、堪能しましたが、とにかく寒くて参りました。

まだ退院して間もないので、体力が回復していないので、体調を崩したと思えますが、大事に至らなくて良かったと思っています。

東京に戻れば、寒さもひどくなく、体調も良くなっています。リハビリを続けて行く予定です。

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2016年10月31日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第405号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第405回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.135>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は港町、兵庫県神戸市が舞台です。木の上に建物をつくる「ツリーハウス」をモチーフに、10分の1ほどの「ミニチュアツリーハウス」にして制作している西田幸博さん(61歳)が主人公です。本物の木の枝を使い、その間に作りこむ小さなツリーハウスは、とってもリアルで、夢に描いた空間を現実にしたような世界。見る人を驚かせます。

かつて菓子メーカーで技術職をしていた幸博さんは、とにかくものづくりが大好きです。妻の真知子さんと結婚後、海外赴任でアメリカへ行きます。そこで精巧に出来た「ミニチュア」に出会い、幸博さんは木工でドールハウスを作っては家族を喜ばせていました。やがてご夫婦は、将来の夢を思い描くようになります。それは「木工で、何らかの物作りをして暮らしたい」というものでした。

しかしその後、真知子さんが大病を患い、幸博さんは早期退職して看病に徹しましたが、2011年に真知子さんは亡くなりました。妻の死後、幸博さんは「二人でやろうと思っていたことをやろう」と思い立ちます。そして2年前にミニチュアツリーハウスの工房「Woody Factory 空知」を始めたのです。

幸博さんの作品は、自然の風景の中に置いて見てみると、まるで本物のツリーハウスです。木の枝の間にウッドデッキがあり、そこにログハウスなど建物が置かれています。それだけでなく、幸博さんの遊び心がそこかしこに散りばめられています。例えば、ログハウスまで物を持ち上げるためのクレーンとカゴが取り付けられていたり、折りたたんで格納できる木のはしごが付いていたり、作品を見る人は、ツリーハウスに暮らす住人になった気持ちになり、夢の世界に引きこまれてしまいます。そんな作品を日々生み出し続ける幸博さんは「少年のまま、おっちゃんになった」と笑います。

幸博さんは神戸市内のマンションで、次女の繭理(まゆり)さんと中学3年生の長男・元(げん)さんと共に暮らしています。毎朝必ず子供達を見送り、家事をこなしてから、篠山市の山奥に構えた工房へ向かいます。ツリーハウス作りは、工房の隣にある山の木を伐採することから始まります。「リョウブ」など細い木の、枝分かれしている部分を利用し、そこにウッドデッキや建物を設置していきます。何本もの小枝を細い糸で結び合わせると、それはまるでロープでくみ上げられた木の手すりです。小さな枝を100カ所以上も結びつける作業は手間がかかって大変ですが、こうすることで作品のリアリティが増すんです。

気持ちの良い秋晴れの朝。こんな日は工房ではなく、幸博さんが大好きな海へ出かけます。マリーナにあるのが、36年かけて完成させた手作りヨット「空知号」です。これを作りあげることも妻・真知子さんとの夢でした。部品、内装、すべてにおいて手作りで、以前は家族総出で作業をしました。船内には真知子さんが作った真っ赤なクッションも残されています。家族の思い出が詰まった空間。幸博さんにとっては「ものづくりの出発点」です。だから時々、ここに戻ってきては木工作業をする幸博さん。誰にも邪魔されず、集中できる船内は大切な場所です。

幸博さんはオリジナルのミニチュアツリーハウス作品だけでなく、オーダーメイドも受け付けています。この日、完成したばかりの作品を届けるために、京都市南区にやってきた幸博さんが到着したのは、卓球選手の育成をアシストしている会社。こちらの社長さんから特別なツリーハウスを依頼されました。それは、立派なツリーハウスの下に広がる、野菜が一杯の農園に、10分の1サイズで精巧に作った、卓球台です。イメージは、農業をしながら、広々としたウッドデッキで卓球を楽しむことが出来る、スペシャルなツリーハウスにみんなが思わず笑顔になってしまう、世界にたった一つの作品です。

奥さんが先に亡くなるケースもあるので、せっかくの第二の人生に寂しさがのこることもありますね。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.31

23日に病院を退院して日曜日で1週間が経ちました。今回の治療の影響は、予想以上のものであり、いまだに、体が思うように動きません。全身が鉛のように固く、筋肉も戻って来ません。外を散歩するようにしていますが、階段や坂を上るのが、辛くて、このまま元の体に戻るか心配になります。

先週は、社会保険労務士のソフト会社の研修があり、業務に直接関係して来る内容なので、思い切って外出しました、今回は、ソフト会社が提携した「チャットワークス」という会社が会場でしたが、その会社が、どの駅からも遠くて、近くの地下鉄の会社からタクシーを使って参加しました。

現在顧客と使っているソフトにチャットの要素を加えて、顧問先とチャットで話せるようになったり、そのチャットに今までの顧問先とのやり取りをすべて記録させる要素があったり、なかなかの内容でした。

その会社の会社見学もあり、500名ほどの社員がいるのですが、東京と大阪のオフィス以外は、在宅勤務で行っているので、予想以上に社員が少なく大きなテレビでのビデオチャットでいろいろなオフィスの社員とやり取りしているのが、印象的でした。なんと社員には、ノートPCが1台あるだけで、紙も電話もありません。会社にも電話は一切なく、顧客とのやり取りは、チャットかメールのみだそうです。

しかも日本の会社ですが、本社はアメリカにあり、顧客は11万3千社、世界44か国にあるそうです。しかもチャットワーク自体は、使用は基本的に無料であり、PCやスマホにソフトをダウンロードして登録すれば、すぐに活用できるそうです。

しかし研修の日は、雨が降って寒くて、自宅に戻ってから、疲れて何もできまでした。来週からは、顧問先の訪問もあり、仕事ができるか心配です。
posted by 國井 正 at 10:21| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第404号!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第404回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.133>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

今回は、南アルプスや八ヶ岳を望む山梨県北杜市が舞台です。東京から移住し、家族で小さなパン屋さんを営む、紺清由美子さん(61歳)と夫の朗生さん(61歳が主人公です。

東京都出身で、26歳の時に朗生さんと結婚した由美子さん。翌年には長男の悠人さんが生まれました。夫婦共働きを続けながら、共通の趣味である登山を楽しんでいましたが、由美子さんは50歳の時に大病を経験しました。

この事がきっかけとなり「自然に囲まれた暮らしをしたい」と思うようになりました。また、パン作り教室に通っていた由美子さんは都会を離れ大好きなパンの店を開く夢を抱きます。そして55歳で会社を退職、山々に囲まれた北杜市に土地を購入しました。当時、朗生さんは二地域居住を考えていましたが、北杜市の家が完成すると、気候と眺めが気に入り、一緒に移住することを決めました。

2012年12月、北杜市に移住。そして一ヵ月後の2013年1月、悠人さんも加わり、家族三人で天然酵母のパン「ろくぶんぎ」をオープンしました。お店では、家族三人がそれぞれの持ち味を生かし、作業を分担してパンを焼きあげます。自分たちが楽しむ時間も大切にしたいと、営業は金曜日から月曜日までの週4日です。お休みの日には夫婦二人で大好きな山登りに出かけ、北杜市の自然を満喫しています。さらに移住仲間と一緒に畑で作物を育てるなど、充実した毎日を送っています。

由美子さんと長男の悠人さん、そして朗生さんの家族三人で焼き上げる「ろくぶんぎ」のパン作りは、毎日30種類ほどのパンを焼いています。天然酵母を使っているので、生地はもっちもち。食べごたえ充分のパンです。地元の農家から借りた畑で、仲間と共同で野菜作りをしている紺清さん夫婦は、この春に初めて植えたサツマイモを収穫します。色鮮やかで、立派に育ったサツマイモは「ろくぶんぎ」で出すパンの材料になります。

畑で収穫したサツマイモを、スイートポテトパンの餡に加工します。じっくりと煮込んだ後、潰してペースト状にしていきます。甘くてしっとりとしたサツマイモは、モチモチとした食感のパンにマッチして大人気です。他にも、イチジクやカボチャなど、季節の食材を使ったパンがお店に並びます。

「ろくぶんぎ」がお休みの日は、趣味の登山や自然散策に出かけることが多い紺清さん夫婦ですが、この日は自宅から車で20分の「美し森」にやってきました。

散策路を登っていくと南アルプスや富士山を眺めることができました。展望広場では、移り変わる雲を眺めながらのコーヒータイムで、北杜市の自然を満喫できました。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.30

先週は、白血球も数値が上がったので、クリーンルームを出されることになりました。クリーンルームは、テレビも見放題ですし、トイレも同室にあり、個室なので。音も気にすることがなく、大変便利でしたが、最後は大部屋に移る決まりもありしょうがありません。

確かに大部屋は、トイレに歩いたり、自分でパンを焼いたり、運動するようになります。また足腰が弱っているので、朝は本館の2階を3周することにしました。朝の6時台では、誰もいないのでいい運動になります。

血液検査では、血小板が立ち上がって来るのが、最後の心配でしたが、安定してきて、ついに昨日の日曜日に退院することができました。先生も心配をして日曜日の9時まで抗生剤の点滴が続きました。

退院して家に戻って来てうれしいのですが、今回のダメージはひどく、動き回ることができません。明日からしっかりリハビリを行いたいと思っています。
posted by 國井 正 at 09:48| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月17日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」402号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第402回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.131>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います

宮城県の沿岸部に位置し、農業が盛んな亘理郡山元町が、今回の舞台です。 稲作農家をしながら、休耕田でそばを栽培している伊藤久光さん(60歳)が主人公です。

久光さんは2006年、減反政策の一環で休耕田を使い、ヒマワリなどの緑肥を地域の仲間と植え、「チームひまわり」を結成しました。翌年からそばを育てるようになり、町の特産にまで広げたいと考えるようになりました。この活動に参加していたのが久光さんと農業の未来を語り合う親友、桔梗幸博さんでした。桔梗さんは広大な畑でブドウを育て、ワイナリーを営む農家仲間。しかし2011年3月、ブドウ畑は津波に襲われ、桔梗さんも犠牲になってしまいます。久光さんは親友のためにと、2年後の夏にブドウ畑だった土地にそばの種をまきました。塩害のあった畑に綺麗な白い花が咲いたとき、町の復興の勇気に繋がったといいます。それから久光さんは「チームひまわり」の仲間とともに、町の様々な場所でそばを育てるようになりました。

「チームひまわり」のメンバー、日野さんと萱場さんの3人で、今年からそばを植えている場所を見に来ました。元々リンゴ畑だった土地をそば畑にしたいという依頼で、8月に種を蒔いたこの場所。そばはしっかりと根を生やしている様子です。収穫まであと少し、そばの逞しい生命力で、ぐんぐん育ってくれることを祈る「チームひまわり」です。

9月上旬、県の内外からお客さんを招いて「そばの花見会」が開催されました。今年も綺麗に咲いた白いそばの花を見て、楽しむ皆さん。花見を楽しんだ後は、山元町産のそば粉を使った、打ち立てのそばを頂きます。白い綺麗なそばの花を愛で、茹でたてのそばを味わう…皆さん大満足の様子です。

伊藤さんご夫婦は、桔梗さんのそば畑の様子を見に来ました。今年は天候の影響なのか、少し育ちが遅れていたこの畑。親友の畑とあって久光さんも気がかりでした。でもこの日、真っ白な、綺麗な花が満開です。「桔梗くんが空の上で見ていてくれている気がする」と、さらに気を引き締め頑張ろう!と、気合いを入れ直した久光さんです。


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◆編集後記

白血病闘病記2016.10 NO.28

先週1週間も、ずっと8℃から9℃台の高熱が続いており、実は今は8.3℃の熱がある中で必死に書いております。

日曜日の検査で白血球は、300までやっと上がりましたが、これは測定機械の誤りであり、翌日の検査では、白血球100まで戻る、こととなり、日曜日、白血球は200となりました。

白血球の数値は、上がることはあっても、下がるこのはありません、訳が分状況です。


posted by 國井 正 at 11:50| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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