2016年05月23日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第382号配信

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第382回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.112>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、かつて武家社会の中心地として栄えた古都、神奈川県鎌倉市が舞台です。

「北鎌倉駅」から歩いて10分、路地を入ったところにある自宅で、日本のワインと鎌倉野菜のランチ、そして甘味を楽しめる店を開いた広川隆司(ひろかわ・たかし)さん(65歳)と妻の真紀子(まきこ)さん(61歳)が主人公です。

隆司さんは、東京の区役所に入職後、真紀子さんと結婚し、2人の男の子が生まれました。隆司さんの楽しみは週末のワイナリー巡りで、様々なワイナリーを巡るうちに「日本のワインをもっと皆に知ってもらいたい」と思うようになりました。定年退職を迎え、同じ頃、家の建て替えが決まると、自宅で店を開くことを決意します。ワインに合う料理は真紀子さんに担当してもらうことになりました。さらに、地元の甘味店で働いていた次男の佳司(けいじ)さんに声をかけ、甘味も提供することになりました。

そして、2015年2月、日本のワイン、鎌倉野菜のランチ、そして甘味を味わえる店「ひ路花」をオープンしました。

隆司さん、真紀子さん、佳司さんの親子3人で営む「ひ路花」は、お昼時には、真紀子さんが作る限定10食の「鎌倉温野菜ランチ」が人気です。一つ一つ丁寧に下ごしらえするので、野菜本来の旨みが味わえます。さらに、隆司さん厳選の国産ワイン、佳司さんが作るこだわりの甘味も訪れる人に笑顔と安らぎを与えます。

ワイン造りが盛んな山梨県までお出かけした隆司さんと真紀子さんは、「中央葡萄酒ミサワワイナリー」を訪れ、ワイナリーを見学させていただきました。興奮気味の隆司さんは見学中も質問が止まりません。日本のワインがもっと皆さんにられることを願っています。

ひ路花」をオープンしてから1年が経ち、お店まで敷き詰めたレンガのアプローチがガタガタしてきたので家族で修復作業です。長男の裕嗣(ゆうじ)さんも加わって家族4人が集まりました。素敵な家族に会える温かなお店は、鎌倉を訪れた人をホッとさせてくれます。

この親子の話は、絵にかいたような理想的な話であり、このように親子や子供達が同じ職場で、すきな趣味を生かして商売することはありえない気がします。

私も一度、勝沼のワイナリーにすっかり魅了されて、何年も通い続けた経験が、あります。特に甲斐からつくる白ワインは、絶品で、もっと飲まれてもいいのではないかと思いますが、現在はコスパの問題で、あまり日本のワインは飲んでいません。寂しい限りです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.5 NO.10

先週は。キロサイトの大量投入により、体調が不安定になり、白血球が100まで低下し、熱を出したりひどい状況でしたが、熱も下がり、お腹の調子もよくなり、すっかり落ち着きを取り戻しています。

しかし白血球100という、何でも感染するリスクの状態は続いており、相変わらずクリーンルームにいます。

しかし体が非常に元気で、以前は6時に起床して1時間程度病院を歩いておりましたが、今はできないので部屋を歩き回っています。また相変わらずパジャマでは、病人の気分になるので、普通の洋服に着替えて部屋で過ごしています。

先週の中盤からいよいよ髪の毛が抜けてきました。いまはほとんど坊主の状況です。投薬する薬も抗生剤、赤血球、血小板、カリウムなどバラエティに富んでいます。毎日ブランという白血球の値を上げる注射をしていますが、一向も数値が上がってきません。数値があがるには、もう1.2週間かかるようです。

また先日赤血球の輸血をするときに、血液型をみたらO型となっていたので、A型に変わっているはずなのに、びっくりしていたら、実はA型の考査血で、私の体の反応を見たら熔血する可能性があり、一番安全であるO型の輸血に、替えたそうです。事前に説明がなかったので、本当にびっくりしました。

また今回熱が出た原因であるブドウ球菌がどこまで体に潜り込んでいるかがまだ判明せず、来週にも再度検査を行う予定です。血液の病気は本当に理解できないことばかりです。
posted by 國井 正 at 07:39| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第381号配信

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第381回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.111>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、福岡県みやこ町が舞台です。のどかな風景が広がる里山で築100年の古民家を改装して、木工と機織りの「工房あふひなた」を開いた木附明政さん(60歳)と、妻・富佐子さん(59歳)が主人公です。

愛媛県今治市出身の明政さんは25歳の時、福岡県みやこ町出身の富佐子さんと結婚しました。3人の男の子が生まれました。電子部品メーカーに勤務し、海外単身赴任など忙しい日々を送っていた明政さんは、51歳の時、富佐子さんの父・康雄さんがすい臓ガンで突然亡くなります。その事がきっかけとなり明政さんは人生を考えたと言います。「いつ何があるかわからない。

人生は一度きり、やれる時にやりたいことをしよう」そう決意したのです。明政さんは2011年、55歳で会社を早期退職、昔からやりたかった木工を1年間学びます。また、ギターの工房にも通い、竹を材料にしたバンブーギター作りも学び始めました。実は明政さん、富佐子さんと出会った頃、ギター教室で講師をしていたんでした。

一方、富佐子さんは15年ほど前から趣味で機織りをしていました。中でも着古したシャツや古い着物の端切れなどを織り込んで作る「さき織」は、教室を開いて指導するほどの腕前です。そんなモノ作りを楽しむ2人が2014年11月に始めたのが、木工とさき織りの「工房あふひなた」です。場所は富佐子さんの実家だった高台に建つ、築100年の古民家です。工房名の「あふひなた」は「あふれる日なた」の意味です。あふれるほどの日が当たる工房で、モノ作りを楽しみながら、のんびりと暮らす木附さんご夫婦の暮らしを紹介します。

木附さんご夫婦が営む「工房あふひなた」では毎月第三金曜日から日曜日の3日間、自由に見学してもらえるように工房を開放しています。築100年の古民家を改装した工房の座敷には、富佐子さんのさき織り作品があります。そして玄関ホールには明政さんの木工品とバンブーギターを展示。販売もしています。

富佐子さんは工房でさき織りの体験教室もやっています。体験で使う道具は、あふひなたオリジナルのミニ機織り機は初心者用に明政さんが手作りしたものです。因みに、コースターなら30分程で作ることが出来ます。

普通は不要になった着物などを裂いて織る「さき織り」ですが、富佐子さんのさき織り作品の中には、新聞紙を織り込んだコースターもあります。新聞紙を使うアイディアは「さき織り教室」の生徒さんの「家には不要な新聞紙が沢山ある」との一言から生まれたそうです。今では、オリジナル作品として、地元の農産物直売所にも置かせてもらっている人気商品です。

工房の裏には、富佐子さんの父親が守ってきた竹林が広がっています。いずれはここでタケノコ掘り体験もやりたいという2人は、さらに明政さんは、この竹を使い、バンブーギター作りの工房も始めたいという夢を持っています。2人の第二の人生、夢が次から次へと生まれています。

このように夫婦二人とも物作りが得意で、それぞれやりたいことがあることは、大変素晴らしいことです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.5 NO.9

先週の木曜日に再入院をして、翌日の土曜日から抗がん剤のキロサイトの大量投与がスタートしました。初めての薬だったので、副作用が怖かったのですが、予定の5日目を終えたら、とたんに症状が出できました。

まずキロサイトを入れる前に、ステロイドを入れますが、これにより、体調が不安定になりました。まず投与翌日から、便秘が始まり、5日間も苦しみました。当然様々な下剤を使用しましたが、当初効果が表れなかったのですが、今度はひどい下痢になっていまいました。下剤が5日遅れて効いてきた感じで、その後は腹痛が止まらず、食欲はあるのですが、当然食べれません。

また5日間でむくみもあり、体重が7キロ増えて来ており、現在は徐々に下痢もあり、減っていますが、まだ3キロオーバーでお腹が苦しい状況です。

さらにキロサイトの投与の翌日から、血液凝固が緩み、3日間続けて血小板などの輸血を行いました。最終的には、白血球なんと100まで下がっていまい、感染症を防ぐために、日曜日から無理やりクリーンルームに入れてもらいました。

当初は、クリーンルームは使用する予定があり、難しいと言っていましたが、数日でも構わないので、感染症の予防が大切です。切れの悪い病院の態度には、不快感を感じています。

白血球が100からどのように上がってくるかわかりませんが。1日でも早く回復したいと考えています。
posted by 國井 正 at 19:21| 東京 ☁| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第380号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第380回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.110>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、都心から電車で1時間とアクセスの良い茨城県龍ケ崎市が舞台です。

小、中学校の同窓生とともに農業体験民宿「半兵衛」を営む岡野順さん(72歳)と、妻の千恵さん(68歳)が主人公です。龍ケ崎市で生まれ育った順さんは大学を卒業後、銀行員として名古屋や東京などで働いていました。27歳の時に同郷の千恵さんと結婚し、2人の子供が生れます。そして定年退職と同時に龍ケ崎市にUターンしました。

故郷に戻って最初にしたことは同窓生たちの名簿作りでした。以後、毎年同窓会を開くことになりました。5年後、その会に近所の農家さんから空き家を借りてくれないかと声がかかります。順さんは「都会の人に来てもらい、田舎の暮らしを体験してほしい」と、空き家を借り、同窓生の仲間とともに空き家をリフォームし、2011年、農業体験民宿「半兵衛」をオープンしました。

農業体験民宿「半兵衛」は順さんの同窓生5人、通称「チーム半兵衛」で営まれています。メンバーは、広報担当の英基さんに、大工の忠男さん、土屋さんはガラス屋さん。そして料理人の大橋さん。それをまとめるのがリーダーの順さんです。「チーム半兵衛」の5人はとても仲が良く、見ているだけで羨ましくなる皆さんです。

「半兵衛」に宿泊のお客様がいらっしゃいました。この日は、土屋さん・忠男さんの案内で竹林でのタケノコ掘り体験です。普段は経験することのできないタケノコ掘りに、お客様は大興奮の様子です。タケノコ掘りの後は「半兵衛」で、大橋さんが真心こめて作った料理を楽しみ、大満足な1泊2日になりました。

「チーム半兵衛」は、一仕事終わるたびにお疲れ様会をやるのが決まりです。この日は、広報担当の英基さんのお宅で始まりました。様々な分野のスペシャリストがそろっている「チーム半兵衛」。実は、英基さんのお宅にある囲炉裏も「チーム半兵衛」で作りました。5人揃うとどんな事もできてしまう、「チーム半兵衛」です。

東京にも近いベッドタウンでもある茨城県龍ヶ崎市で、農家民宿という選択肢はいいと思います。私も土浦市に2年間住んでいおましたので、田舎が楽しめる場所があることを良く知っています。羨ましいのは、中学の同級生が集まって町おこしを兼ねて農家民宿を経営してることです。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.5 NO.8

先週の木曜日に再入院をして、翌日の土曜日から抗がん剤のキロサイトの大量投与がスタートしました。初めての薬だったので、副作用が怖かったのですが、1日目を終えても特に副作用は出ていないので安心しました。

しかし前回は左腕の点滴の針をさして25日間の抗がん剤注射を乗り切ったのですが、今回は血管の疲労があり、針をうまく刺すことができず、カテーテルを挿入することになったのですが、左上腕に挿入してほしかったのですが、調べたところ細い静脈しかなく、最終的には太い静脈がある首の付け根にカテーテルを挿入しました。首は怖い感じでしたが、安定的に挿入されておりので、一安心です。カテーテルの良さは、血液検査もカテーテルから、できるので、いちいち血管に針を刺さなくてもいいので、負担が減ります。

今回は、再入院したので、前回の部屋ではなく、昨年8月に入院した部屋に入りました。6人部屋の真ん中のベッドなので、少し圧迫感がありますが、前回の南向きに部屋から今回は北向きなので、暑さがなく、よく眠られ気がします。

前回の入院時に友人になった同年齢の方も同日入院であり、部屋は別ですが、入院初日はほとんど一緒に話をしていました。入院先に知人がいるのは、いいことで、気分転換ができますし、先に移植や抗がん剤を使用した副作用などの情報交換ができますし、戦友という感じで安心感があります。10代から70代の友人がいますので、バラエティに富んでいます。

今回の治療は、白血球の低下が激しいので、家の一時帰宅ができそうにありませんので、病院でいかに時間を過ごすかが課題になりそうです。入院前には1日1万歩以上のウォーキングを行っていましたが、病院でも管内ウォーキングを前回同様頑張りたいと思っていますが、今は24時間点滴の機械がありますので、点滴が終わる5日間は、あまり運動はできそうにもなく、がかりしています。
posted by 國井 正 at 12:11| 東京 ☀| Comment(0) | メールマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第379号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第379回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.109>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、松本盆地の南に位置する長野県塩尻市が舞台です。小学校の木造校舎をイメージしたカフェ「みなと喫茶部 夜間部 手芸部」を営む井駒由佳さん(57歳)と夫の敦志さん(58歳)が主人公です。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、長野県の精密機器メーカーでデザイナーとして勤めていた由佳さんは、40代になると、木工教室やビーズアクセサリー教室、洋裁教室などに通い手芸を楽しむようになりました。そして、同じように「もの作り」を趣味にする人たちが集まれる場所を作りたいと、2014年に会社を早期退職して自宅を改築し、「みなと喫茶部 夜間部 手芸部」をオープンしました。

昼の喫茶部、夜のコース料理を楽しめる夜間部、そして洋裁教室などを行う手芸部と、三つの顔をもつカフェです。お店の看板メニューは、フライパンでお客様にお出しするパンケーキです。夫、敦志さんも仕事が休みの日にはお手伝いしてくれています。

手芸部で、由佳さんが講師となって教えているのは「カルトナージュ」です。厚紙に紙や布を貼り、箱などの小物を作るフランスの伝統的な手芸です。特別に注文した大きな作業用のテーブルを囲み、みんなと「もの作り」の楽しさを共有しています。また、早期退職した由佳さんの元同僚には、同じく会社を退職して新たな取り組みを始めた人たちが大勢います。農業や養蜂、ワイン作りなどを始めた仲間たちは「夜間部」で、さらに大きな夢を語り合います。

店名の「みなと」は「みんなと一緒に」という意味で、由佳さんと敦志さんは、カフェを訪れる「みんな」と、楽しく充実した日々を過ごしています。

「みなと喫茶部 夜間部 手芸部」の看板メニューは、フライパンごとお客様にお出しするパンケーキです。チョコバナナのパンケーキやりんごのタルト・タタン風パンケーキなどの甘いメニューに加えて、日替わりで食事用のメニューも用意しています。水曜日はクリームチーズのパンケーキで、具がたっぷり入ったクリームチーズソースが絶品です。

お店で一番大きな机を使って行われるのが「カルトナージュ教室」です。この日参加した生徒さんたちは、楽譜入れとメモホルダーに挑戦します。「素早くキレイに糊付けする」ことが一番のコツだという「カルトナージュ」です。由佳さんの指導のもと、丁寧に作業したおかげで2人とも立派な作品を作ことができました。

早期退職後、新しいことにチャレンジしている仲間のもとへやって来た由佳さんは、「夜間部」の料理用に、仲間たちが作っている食材を分けてもらいます。退職後、ブドウ園を継いだ塩原さんからはシャインマスカットと巨峰ジャムと長イモを、養蜂を始めた保坂さんからは蜂蜜を頂きました。

井駒さんご夫婦の元同僚たちが集まった「夜間部」です。由佳さんお手製の料理を楽しみます。分けてもらった長イモはアヒージョに、蜂蜜を入れたトマトソースは鶏肉にかけました。元同僚たちが作った食材でコラボレーションです。商品化などに向けて夢が広がります。

塩尻の街の背景には、南アルプスの山並みが見えて、松本に居たころを思い出しました。しかしこの方は、何でもできるので、地元の仲間が集まり、情報交換する環境は、理想的な生活ですね。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.5 NO.7

先々週の水曜日に退院し、約1週間以上過ぎて、すっかり入院前の暮らしが戻って来ました。朝は6時に起きて、1時間歩くことは続けており、体重も元に戻りました。

入院中も病院の中を歩いていましたが、絶対的な運動量は少ないので、体重が3キロ近く増えていましたが、朝だけでなく昼も、犬の散歩や、ウォーキングで体を鍛えています。

連休中なので、子供達とも食事に行ったり、会う機会も増えました。先日は、畑を任せている長女夫婦と2か月ぶりに家庭農園に出かけました。前にお世話になったスタッフにも挨拶ができ、土いじりはできないので、もっぱら孫の面倒を見ました。やっと歩くことができるので、後ろから追いかけて、他人の畑に入らないようにすることと、転んでは大変なので一瞬たりとも目が離せないので、疲れてしまいました。

畑は、3月に植えた青梗菜、小松菜、ホウレンソウ、ルッコラ、二十日大根などは、すべて収穫して、次にトマト、ピーマン、ズッキーニ、バジルなどを植えていました。農業経験がないのに、きれいに手入れをしています。

収穫後は、会員用の部屋で、皆で経堂の老舗で購入したお赤飯やお稲荷さん、柏餅などを食べて楽しいひと時でした。今度は、トウモロコシや枝豆も作って欲しいなと思いながらも、すべて任せたので、何も言わないと戒めていました。しかし娘夫婦もすっかり農業にはまっているみたいで、本当にありがたいことだと思っています。
posted by 國井 正 at 12:03| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第378号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第378回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.108>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、和歌山県海草郡紀美野町が舞台です。雄大な自然が広がるこの地に、3年前、大阪から移住し、憧れだった愛犬と一緒に田舎暮らしを始めた稲毛誠治さん(54歳)と、妻・るみ子さん(51歳)が主人公です。2年前からは、自宅の古民家を使って農家民泊を始めました。

大阪府で生まれ育った誠治さんは高校を卒業後、大手電機メーカーに就職しました。21歳の時、るみ子さんと社内恋愛の末に結婚し、二人の男の子が生まれました。転勤族として地方を転々としていた誠治さんは「田舎の暮らしもいいなあ」と思うようになり、49歳の時に田舎への移住を決意し、大阪から電車でわずか一時間半で行ける、自然豊かな和歌山県紀美野町で一軒の古民家と出会います。

2013年に会社を早期退職、紀美野町への移住を果たしました。そんな誠治さんには長年抱いていた夢がありました。「犬を飼って、田舎で一緒に暮らしたい」移住を決めたのと時を同じくして、ネットで売りに出されていた柴犬の赤ちゃんに一目惚れし、柴犬のJINくんを新たな家族に迎え、紀美野町での暮らしを始めました。

移住から1年後、「田舎の良さを体験してもらいたい」という思いで、築およそ70年の古民家を改装し、「農家民泊 JINと小梅」をオープンしました。愛犬JINくんの名前と地元の地名「梅本」から一字もらって名付けました。まだまだ慣れない田舎暮らしですが、2人と1匹で力を合わて奮闘する、稲毛さんご夫婦の田舎暮らしを紹介します。

深い山々に囲まれた和歌山県紀美野町に移住後、誠治さんは荒れ放題だった遊休農地を自ら開墾し、夫婦で野菜作りを始めました。自家製野菜で、宿泊のお客様をもてなしたい、と頑張っています。チンゲンサイのつぼみも食べることが出来ると、地元の方に教わりました。

稲毛さんご夫婦が営む「農家民泊 JINと小梅」は生石山(おいしやま)の中腹にある絶景の宿です。「JINと小梅」には決まった体験プログラムはありません。「その季節に合った田舎暮らしを楽しむ」というコンセプトで、散歩したり、野菜を収穫したりとお客様の要望に応えています。今日は、山菜摘みを体験してもらいます。これぞ、山里の楽しみのノビルにヨモギにツクシ、夕飯が待ち遠しいです。

家計を支える為、誠治さんは植木栽培も始めました。公園や道路の街路樹として見かけるシャリンバイという植木を、300坪の畑でおよそ3000本育てています。小さな苗から育てて2年で今年から出荷できるようになりました。植木は野菜に比べて、天候に左右されにくく値段も安定している為、収入の計画が立てやすいんだそうです。

古民家に住んで、犬と暮らし、野菜作りをする夢を持つことは、よくありますが、農家民宿と街路樹作りで家計を支えるというアイディアは、とても素晴らしいと思います。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.4 NO.6

先週もトリセノックスという亜ヒ酸の抗がん剤を投与していますが、25回が終了しましたが、幸い何も副作用もなく、不整脈にもならず、先週の水曜日に一時退院をしました。次回は、約2週間後の5月6日に再入院します。

退院直後は、気分的にはのんびりすることができましたが、暖かい病院に比べて自宅は寒い気がして、慣れるのが大変でした。また2週間という中途半端な期間なので、次回の入院に備えて体調を整えることが、最大の課題ですので、気が抜けません。

最初に考えたのは、病院にいる時は、6時の起床からすぐに、約1時間かけて病院の内部を歩き回って7000歩くらい歩いていましたので、家でも6時に起きて、近くの烏山緑道を、約1時間散歩することにしました。

そうしたら2日目に、足の裏が痛くなり、3日目は歩くことができませんでした。病院の床は柔らかい素材を使っているので、足の裏には負担がなかったのですが、外の道路は、コンクリートで硬いので、急に歩いたことで、足が痛くなったのだと思います。

また病院の食事にはなかった肉料理やお寿司などを食べて満足しています。昨日は、居酒屋で日本酒と刺身や季節の素材の料理を楽しみました。本当は、あまり生物は、敬遠した方がいいのですが、そこまで白血球が下がっていないので、堪能しています。

また病院では、WI−FIしか通信手段がありませんが、自宅ではWI−FI環境があり、いくらでも通信量を気にすることなくネットが使えるのが、非常にありがたいことです。病院では、見れなかった動画で海外映画やドラマを楽しんでいます。

また先週は、リフォームをお願いした会社から雑誌に掲載する記事にしたいという提案があり、前から欲しいと思っていた背の高いスツールを急いで2脚購入して撮影に間に合わせました。とてもきれいに写真を撮っていただいたので、雑誌がでるのが楽しみです。

来週は、いよいよゴールデンウィークなので、子供の家族と食事をしようと考えています。
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2016年04月18日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第377号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第377回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.107>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回の舞台は、標高およそ1000m、日本有数の別荘地として知られる長野県軽井沢町です。この町でお豆腐屋さんを営む森友実(もり・ともみ)さん(40歳)と雄大(たけし)さん(46歳)が主人公です。

軽井沢町にマイホームを構え、会社員として働いていたご夫婦は、一日中パソコンに向かう仕事をしていた友実さんは、「もっと自然を感じながら規則正しい生活をしたい」と思い始めます。そんな時、閉店するため技術を伝授したいという豆腐店を知り、「これだ!」と思い弟子入りしました。店主に豆腐作りの技を教えてもらうことになり、そして、2013年3月、軽井沢町発地地区(ほっちちく)に「白ほたる豆腐店」をオープンさせました。

一年半前には「原材料の大豆から栽培をしたい」と、夫・雄大さんも会社を退職して農業をしながら共に店を切り盛りし、妻の豆腐作りを支えています。

素材にこだわった友実さんの豆腐は、地元で評判となり、多くの常連さんを抱え、いまや有名宿泊施設でも使われています。会社勤めから豆腐作りの世界に入り、地道に日々を送る森さんご夫婦は、今後、お二人は更なる挑戦をするため、ただいま雄大さんも豆腐作りの猛特訓中です。

森さんご夫婦が営む「白ほたる豆腐店」。国産の大豆と天然にがりで作る「もめん豆腐」は大豆本来の風味と甘みが口に広がります。開店して3年たった今も、にがりを打つときは特に緊張するという友実さんには、真心のこもったお豆腐を求めて、多くのお客さんが訪れます。

ご夫婦のお店では、豆腐以外にも油揚げやがんも等の揚物も販売しています。「もめん豆腐」とは違う製法で作られる「油揚げ」は、仕込みから完成まで1日がかりです。人気の「白ほたるがんも」には黒ゴマやひじき、野菜がたっぷり入っていて、菜種油で揚げると何ともいえない香ばしさで、常連のお客さんは予約をして買うほど人気の商品です。

「大豆まで自分たちで作れば、豆腐が全て自分たちの手にかけて作れる」と就農した雄大さんは、軽井沢の長い冬がようやく終わり、雄大さんはトラクターで畑を耕します。豆腐にかける熱い思いに心動かされた、畑の持ち主の佐藤一郎さんは、農業に豆腐作りにと頑張るご夫婦を応援しています。また、豆腐店の常連客・儘田(ままだ)さんも、働きづめのご夫婦の体を気遣い、自宅に招いては手料理で応援してくれます。ご夫婦のお豆腐には発地地区の皆さんへの感謝と真心が詰まっています。


発地地区に4月26日にプレオープン予定の「軽井沢発地市庭」には、農産物直売所のほか、軽井沢産の素材を生かした料理が味わえる飲食施設などがある複合施設です。ここに「白ほたる豆腐店」も出店することに決まったんです。たくさんの候補の中から選ばれた森さんご夫婦。こちらでは二人が力を合わせて作る、真心こもったお豆腐やがんもを使った食事メニューを出す予定です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.4 NO.5

先週もトリセノックスという亜ヒ酸の抗がん剤を投与していますが、24回が終了しましたが、幸い何も副作用もなく、不整脈にもならず、週末は一時帰宅しています。あと1回で終了ですが、土曜日は病院の創立記念日の振替休日であり、最後の1回は本日となってしましました。

しかし全部で25回の治療の内、前回は、20回になる前に不整脈が起こってしまったので、今回は良く持っていると思います。火曜日に骨髄検査を行い、水曜日に一時退院します。次回は5月6日に再入院する予定です。それから3か月は、治療が続くので考えると暗くなります。

入院も回数が多くなると、いかに病院で仕事もこなしていくかが、最重要課題となります。いままでもノートPCとWI─FIの機械を持ち込んでいますが、一度PCが画面が壊れて使えなくなったことや、通常7Gのデータ通信量でも不十分で、前回の入院では、その倍のデータを追加することとなり、数万円の追加料金を払った記憶があります。また1日1Gというデータ通信量のしばりがあり、速度が遅くなり、データの少ない朝の4時くらいに起きてPCを操作していました。

今回はこのような、状況に備えるために、まずタブレットPCを1台用意して、PCが壊れてもバックアップできるようにしました。またWI−FIは、データの上限がないプランを選ぼうとして、お店にいったら、その店で特別なプランとして7Gの機械を2台契約してもらえば、1台の端末代金は、店が持つので、14Gで月3600円でいいというプランを提示されました。しかも3日で3Gの制限で行けるので、データ量の上限なしプランより、安く契約ができるので、迷わず、そのプランに契約しました。

本当は、ソフトバンクの備え付けのWI−FIの導入を検討したのですが、この機械は、電波の悪い地区向けのもので、都内ではほとんど使えないとのことで、断念しました。

今回は、さらにメガネを予備のものをZINZのブルーライトカットタイプのものを購入して、ほとんどPCを見ている目を守ることにしました。またメガネが壊れたときの予備として使用できるので、いいと判断しました。

このようにいろいろな場面に備えるように、今までの経験を活かして活用方法を考えており、入院している仲間にも伝えています。
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2016年04月11日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第376号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第376回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.106>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回の舞台は、ブリの日本三大漁場の一つ、三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)です。故郷にUターンし、仲間とともに地域おこしの食堂を手伝う、川上修史(かわかみしゅうし)さん(65歳)と妻の里美(さとみ)さん(62歳)が主人公です。

大阪の繊維メーカーで、忙しい毎日を送っていた修史さんは、いつかは故郷・九鬼町に戻りたいと考えていました。里美さんにも気持ちよく移住してもらいたいと、定年前に、1年かけて築100年以上の実家をリフォームしました。そして定年を迎えた2010年、夫婦で九鬼町に移住し、小さな漁港の町で田舎暮らしが始まりました。

移住後は、好きな釣りをしたり、のんびりと日々の暮らしを楽しんでいた修史さんですが、毎年15人くらいずつ人口が減少していく現実を知り、「自分の故郷がなくなってしまうのではないか」と思い始めます。そんな中、町に一軒もなくなってしまった食堂を立ち上げようと、東京から地域おこし協力隊の青年が赴任しました。修史さんは、彼に協力するため仲間に声をかけ、店舗の内装を手伝うなど、町に活気を取り戻すための活動を始めました。そして、2015年5月、土日限定の食堂「網干場(あばば)」がオープンしました。

赤い屋根と窓から見えるオーシャンビューが自慢の「網干場」は、近くの市場から仕入れた魚が評判で、営業日の土日には、観光やリピーターのお客さん達でにぎわっています。メニューは、刺身・ミックスフライ・にぎり寿司定食の3種類。また、九鬼ブリを使ったしゃぶしゃぶも人気です。

お店に立つのは、ボランティアで手伝う地元の方々で、厨房とホールに分かれ、「網干場」を盛り上げています。

仕入れを担当するのは、修史さんと地域おこし協力隊の豊田さんです。漁師町自慢の美味しい魚を食べてほしいと、早朝から市場に出向きます。営業日の2日前からブリを仕入れ、前日には刺身やフライの魚を選びます。仕入れた魚は、去年移住したばかりで、水産関係の仕事をしていた岸田さんが捌きます。捌きのプロによって施された丁寧な下処理のおかげで、臭みもなく素材本来の旨みを感じることができます。


里美さんは「網干場」を手伝う傍ら、修史さんの親せきから漁港の目の前にある喫茶店を任されています。ここは、里美さんが地元の方と顔見知りになるにはうってつけの憩いの場。地元の老人会の溜まり場にもなっています。

「このお店のおかげで、町に慣れた」と話す笑顔の里美さん。今では、地元の方たちと話すのを楽しみにしています

港から歩いて30秒ほどの場所にある川上さんご夫婦のご自宅です。築100年以上経つ修史さんの実家を和風モダン風にリフォームしました。そんな自宅で行われる、仲間を呼んでの宴。1人1品料理を持ち寄りました。集まったのは、故郷が大好きでUターンしてきた地元組と、九鬼町に魅せられて移住した皆さんです。年齢は様々ですが、九鬼町の魅力を語り合いました。素晴らしい仲間たちに囲まれて幸せそうな川上さんご夫婦。これからも九鬼町での暮らしを満喫しています。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.4 NO.4

先週もトリセノックスという亜ヒ酸の抗がん剤を投与していますが、18回が終了しましたが、幸い何も副作用もなく、不整脈にもならず、週末は一時帰宅しています。何か昔の単身赴任時代を思い出します。

しかし全部で25回の治療の内、前回は、20回になる前に不整脈が起こってしまったので、今週が本当のやまでないかと考えています。

入院も3週間になると、本当に体がなまってきます。そこで朝6時に起きたらすぐに身支度を整えて、病院内を歩き回ることにしました。

まず朝起きると、ベッドの上でいつも行っているように、ストレッチと腹筋をします。そしてエレベーターは使用せずに、階段で1回に降りて、玄関まで行って一度外に出て、外の空気を吸いながら、体をほぐすようにストレッチの続きを行います。守衛の人が怪訝そうな顔をして見ていますが、挨拶して外の空気を吸うだけだよという態度を見せます。

その後は、2階まで階段を上り、新しくできた本館に移ります。このフロアーは、診察する窓口や診察室がありますが、朝の6時半は、誰もいないので、入り組んだコーナーが沢山ありますが、そこを5周から多い時だと8週くらいまで早足で歩きまわります。全部で5000歩以上は歩くようにしますので、かなり同じ場所をぐるぐる回っています。夕方の人がいない時間も歩きますので7000歩くらいは歩いています。

しかしパジャマで歩き回るのは、抵抗感があるので、今回の入院は、下はジョガ─パンツ、上はTシャツなど極力普通の服装で過ごしています。シューズもしっかり履いていますので、そのまま見れば普通の方と変わらないと思います。これは、自分でも普通の姿でいると病人だと思わないと感じることができ、気分も良くなるからです。

先週は、中学時代の同級生で同じ大学ですが、交流がなく、数年前同窓会で再会してから同じ世田谷に住んでいることから、たまに飲みに行ったりするようになりました。彼がNPOの理事を務めている団体の社会保険労務士が年で死亡して困っているので、何とかならないかという話になり昨年から顧問として仕事をさせてもらっています。打ち合わせを兼ねてお見舞いに来ていただきました。

入院しているとお見舞いの方が来ていただけるのは、気分転換になりますので、本当に助かりました。
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2016年04月04日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第375号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第375回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.105>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、江戸時代に15万石の城下町として栄えた新潟県村上市が舞台です。

メープルシロップを作る「てまひま工房・山専(やません)」を営む河面専一(こうもせんいち)さん(64歳)と妻の美智子さん(62歳)が主人公です。

村上市の山間、大毎(おおごと)集落で生まれ育った専一さんは地元の消防署に勤務していました。28歳の時に美智子さんと結婚し3人の女の子が生まれます。専一さんは6年前、友人に勧められ初めてイタヤカエデの樹液を飲みました。その甘さに驚き、更に煮詰めるとメープルシロップになることを知ります。面白いと感じた専一さんは、早速、メープルシロップ作りに挑戦します。何度も失敗しましたがようやく1年後に、満足のいくメープルシロップが作れるようになりました。その後、消防署を早期退職、2012年10月に工房を構え、本格的にメープルシロップの製造販売を始めました。

河面さんご夫婦が営む「てまひま工房・山専」では、イタヤカエデの樹液を煮詰め、糖度66度と43度の2種類のメープルシロップと、樹液を加熱処理したメープルサップを作っています。メープルサップは煮物料理などに入れると、ほんのり甘くコクが出ます。

妻の美智子さんは親戚の味噌屋さんで味噌作りのお手伝いをしています。注文のあった家毎に大豆、麹、塩の配合を変え、それぞれの家の味噌を手作りしています。昔は親類が集まり各々の家の味噌を皆で作っていたと言います。そんな「結(ゆい)」の精神が今も残る大毎集落です。

河面さんご夫婦が暮らす大毎集落の年に1度のイベント雪上運動会です。冬でも集落を元気にしたいと24年前に始まりました。子供からお年寄りまで集落のほとんどの人が参加します。定番のリレーや綱引き、更に雪国ならではの長靴飛ばしやソリ競争など、皆さんの歓声と笑い声が絶えない1日でした。

今年で4回目の開催となるイベント「雪山メープルシロップ物語」です。公募で集まった参加者はスノーモービルに相乗りして早春の雪山に入り樹液採取の体験をします。「大毎集落とメープルシロップに興味を持ってもらいたい」と専一さんは張り切っていました。参加者の反応も上々、来年も開催予定です。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.4 NO.3

先週もトリセノックスという亜ヒ酸の抗がん剤を投与していますが、幸い何も副作用もなく、不整脈にもならず、週末は一時帰宅しています。

しかし全部で25回の治療の内、約半分の13回が終わりましたので。前回は、20回になる前に不整脈が起こってしまったので、今週がやまでないかと考えています。

先週は、入院した時に同じ部屋にいた方が、再入院し、また話ができるようになりました。その方は、写真が趣味で、フェイスブックで、いろいろな場所に写真を撮りに行き、楽しませてもらえましたが、再入院されたので、残念ですが、しばらくは楽しめなくなりそうです。

3週間近く同じ部屋にいると、いろいろな方が退院し、また新しい方が入院してきますので、いろいろな人がいますが、先生に早く退院させろと文句をいう患者もいて、その人の性格や人となりが出る気がします。

私は、これが1クールめの入院で、この先3クールも入退院を繰り返す予定ですので、先生や看護士さんに嫌われないとしようと思っています。

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メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第374号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

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「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第374回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.104>


ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。


今回の舞台は関東の中でも一足先に春が訪れる房総半島です。田舎暮らしを楽しむ2組のご夫婦を紹介します。

1組目のご夫婦は、南房総市でカフェを営む竹沢真由美さん(62歳)と夫の嘉実さん(66歳)です。福島県に生まれ育った真由美さんは、上京後、金融機関に勤め、嘉実さんと職場結婚しました。幼い頃からの体験がもとで、家族の食事にはなるべく手をかけ、手作りにこだわりました。

次第に自給自足の生活に憧れを抱くようになり、理想の移住先を探し始めます。そして見つけたのが、南房総市の山頂に近い1000坪ほどの土地でした。テラスがあって日当たりのいい家を新築し、2004年12月に夫婦で移住しました。移住後は畑を耕し、何もかも手作りする自給自足の生活を楽しんでいましたが、そんな暮らしの味わいを多くの人にも知ってもらいたいと「自給自足をおすそ分け」するようなカフェを開く事になりました。

近所に土地を借りて、2014年11月「山のキッチン 東星田とみぃ」をオープンしました。お店で人気なのが、ご夫婦が普段食べている手作りの食事を出すランチセットは、10食限定で用意していますが、毎回完売です。静かな山間で、人々が集まるにぎやかなカフェとなりました。

2組目のご夫婦は、館山市での生活を日々楽しんでいる佐々木忠雄さん(70歳)と妻の昌代さん(72歳)です。

秋田県出身で、横浜市の会社に就職した忠雄さんは、職場で出会った昌代さんと結婚し2人の子どもが生まれました。その後、忠雄さんは営業マンとして激務の日々を過ごしていました。56歳の時、リュウマチを患い、痛みに悩まされるように。いつしか「仕事を忘れて田舎で暮らしたい」と考えるようになりました。

移住先を探し始めるも気に入る物件が見つからず、忠雄さんは定年退職を迎えました。そして2010年、館山市でとある賃貸物件を見つけました。家屋はボロボロで、まるでお化け屋敷のようでしたが、忠雄さんは「手直しすれば理想の家になる」と自分たちで改装することに決めました。2011年6月から漆喰や床板などを修復し、なんとか住めるようになった10月に館山市へ夫婦で移住しました。その後も手を加え続け、家は見違えるほど立派になりました。昌代さんは趣味のガーデニングを始め、四季を通して花々が庭を彩るようになりました。

そんな佐々木さんご夫婦の楽しみは、神奈川県に住む娘や孫たちがやって来ることです。ご夫婦は、家族とこの家で過ごす時間を何よりも楽しみにしています。そして忠雄さんはこれからもこの家と庭をリフォームし続けることを生きがいに感じています。

房総は、非常に暖かくて、良いころです。私の会社時代の同僚も、いすみ市に住んで、海と畑の生活を楽しんでいます。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.3 NO.2

先週もトリセノックスという亜ヒ酸の抗がん剤を投与していますが、幸い何も副作用もなく、不整脈にもならず、週末は一時帰宅しています。

先週は、同じ部屋の同じ年の患者さんが一時退院して、寂しくなりましたが、同じ同室の大学生が、私と同じ白血病という情報があり、少し話をしました。そうしたらその子の母親が、たまたま私のブログを読んでおり、お母さんとご挨拶しました。

とても性格の良い大学生で、我々のような年配の患者とも話ができる好青年で、法学部ということもあり、いろいろな話をすることができました。私の場合は、あまり良い病歴ではないので、不安にさせてはいけませんが、若いので絶対治るので、すこしでも参考になればと思っています。

私の年でもなぜこんな病気になってしまったと落ち込みますが、若い人は、なおさらだと思いますが、ぜひ頑張って欲しいと思います。

日曜日から3日間家に一時帰宅できると言っていましたので、家でのんびりして、気分転換してもらいたいと思います。私も日曜日は、朝の散歩でたまたま世田谷区の特別保護区の一般公開に出くわして、早春の緑地を散歩することができました。桜やモクレンなどいろいろな花やオタマジャクシも見て、自然に触れてきました。

今週も抗がん剤治療を頑張って、また週末に一時帰宅できればと考えていますが、そろそろ不整脈がでそうな気もしますので、心配しています。
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2016年03月21日

メールマガジン「アクティブ・シニア・クラブ2」第373号配信!

社会保険労務士&行政書士の國井 正です。

このメールマガジンのコンセプトは「兼業起業家への第一歩」です。

定年を迎えてから自分の好きな仕事をしようと考えている方は、多いと思いますが、それでは準備が遅れます。

また定年退職してから新しい仕事に取組みには、時間はあるかもしれませんが、収入の目処がつくには時間がかかりますので、在職中から定年後の仕事の準備を始めて、その仕事が順調になってから、サラリーマンをやめた方がうまく軟着陸できるはずです。

在職中であれば、将来の仕事に着手して赤字が出ても、給与所得と事業所得の損益通算により現在の給与所得が減りますので、その分所得税が還付されます。少しくらい失敗しても心強いですね。ぜひ今から新しい仕事にチャレンジしましょう。

今回も、最終章の生涯のライフワークをどう考えていくかを、お話していく予定です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「兼業起業家への第一歩」シリーズ 第373回

その4 完全独立後も安定と成長

<その4 生涯のライフワーク NO.103>

ここからは、第2の人生を1起業家としてやっていくうえで、生涯のライフワークとしてどのように関わっていくかを考えて見たいと思います。

リタイア後は、仕事のことなど考えないで、悠々と過ごすと公言している人もいますが、何年間も趣味に生きられる方は別ですが、定年後もできるだけ、働きたいと思っている方のほうが多いのではないでしょうか。

日本の年金制度は、夫婦で安心して暮らしていくだけのレベルでは、ありません。また60歳から年金をもらえる時代ではなく、現在は65歳ですが、将来の年金改革では、間違いなく65歳以上に年金支給開始年齢が上がっていくことが予想されます。

生涯のライフワークということは、年金に加える収入を得ながら、自分の好きな仕事を一生涯続けることだと考えています。一生涯のライフワークには、どのようなものがあるか見て生きたいと思います。

今回も、私が大好きなテレビ番組「人生の楽園」から、生涯現役で頑張っている方を中心にご紹介しようと思います。

今回は、人生の楽園の住人が取り上げられている冊子「いつか暮らしたい移住地」に取り上げられている方の話です。

この本の第1章「南国・島で暮らす編」に取り上げられている石垣島に移住したご家族の話です。

今回の舞台は沖縄県の石垣島です。大阪から石垣島北部にある明石集落に移住し、カフェをオープンした多部康裕さん(59歳)と娘の寿珠さん(32歳)が主人公です。

康裕さんは、以前は中学校の美術教師をしていました。そして同僚の節子さんと結婚し、一人娘の寿珠さんが生まれました。多部さん夫婦は50代を迎えると、「第二の人生」は石垣島に移住してカフェを開こうと考えていました。しかし、移住先が決まった矢先に節子さんは卵巣がんと診断されます。治療を経て2010年、夫婦は石垣島に移住しましたが、翌年に節子さんは亡くなりました。

「ChakoCaf?」は、明石集落では第一号のカフェです。「チャコ」とは節子さんのニックネームです。メニューはコーヒーやフルーツジュースなど、まだ簡単なものしかありません。寿珠さんがドリンクを作り、康裕さんは客たちの話し相手になります。オープンしたばかりですが、近所の方がふらっと立ち寄ったり、観光客の方々がゆっくり過ごしたりできる場所になりました。

康裕さんは明石集落の住民、新里新八郎さん、仲里剛さんと一緒に釣りへ出掛けます。この日、釣果はありませんでしたが、新里さんの家に集まって酒を酌み交わします。こんな時は寿珠さんも参加することがあります。明石集落の人々は支え合い、家族のような付き合いがあります。その理由は集落の歴史にあります。1955(昭和30)年に沖縄本島から開拓移民として入植した人々によって明石集落は作られました。移住した地でお互いに助け合って暮らしてきたからこそ、移住者を温かく迎える風習が根付いています。

ご夫婦でせっかく都会から石垣島に移住したのに、奥さんが癌で亡くなってしまうなんて、悲しい話ですよね。しかし娘さんが一緒で、奥さんとの想いでの場所で生活できるのは、幸せなのかもしれません。

私の会社の元同僚も早期退職して、ご夫婦で奥さんの実家のある宮古島で暮らしています。民宿を経営しているので、泊まらせてもらいましたが、とにかく時間がのんびり流れていて、いいところでした。

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◆編集後記

白血病闘病記2016.3 NO.1

先週の木曜日に白血病の再発の治療のために、日本医科大学病院に入院しました。以前は入院何回目と書いていましたが、回数が多すぎてわからなくなりますので、2016.3としました。

今回の入院した部屋は、6人部屋であり、想像ですが、私と同じ年代の方が2名、年上の方が2名、何と10代(18歳、19歳)が2名と、年齢がまちまちです。

入院した日に同室の方と話をするようになり、その方は非常にフレンドリ─な方で、皆さんと顔見知りであり、何名かの方と話をするようになりました。その方からいろいろな情報を聞くことができ、助かっています。

今回は、私も長い入院生活になるので、できるだけ知り合いの方を増やそうと考えており、いろいろな方と話をするようにています。以前は、入院時には、人と話すのは、どちらかと言うと避けていましたが、考えを変えました。

また長い入院生活に備えて、パソコンなどが壊れた場合にも備えて、できるだけの用意をすることにしました。以前にパソコンが壊れて大変な事態がありましたので、今回は、予備としてタブレットPCを買って、いざというときには、使えるようにしています。パソコンでは、前回と同じようにフルゼグの機器を用意して、テレビを見られるようにして、録画をできるようにしています。

病院のテレビカードは、すぐなくなってしまうことと、消灯が9時なので、遅い番組などが見れないので、このように快適にテレビライフ(入院時には必要なアイテム)を送れるように準備しています。

治療は、金曜日からトリセノックスという亜ヒ酸の強い薬を投与していますが、現在は何ともありません。一度この薬で、不整脈が出ていますので、今心電図を付けて投与しています。

幸い日曜日と祭日は、先生がいないので、この治療ができないので、現在は一時帰宅していますが、今週から再開する予定です。何とかうまく行くことを望んでいます。
posted by 國井 正 at 12:42| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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